2003.7.3  イントネーション
 関東に移り住み十一年目。いまだに買い物などに行った時、お店の人と話しているうちに「お国はどちら?」と聞かれてしまう。イントネーションが違うらしい。本人はその自覚もない。それどころか随分関東弁になったなあと思っている。

 ところがイントネーションの違いをまざまざと自覚する羽目になった。今度、地区の「おはなしの会」で詩を朗読することになった。どうも私のイントネーションがおかしいらしい。民話なら味があるが、詩だから正しくしたら?と言われてしまった。この際だから、正しいというイントネーションを発してみるのだが、イヤ〜〜〜これがなんとも難しい。
 
2003.6.23  土佐の女
 葛飾区に住んで居る郷里の同級生の話である。

 PTAの役員をしているとき、ある人が「今日は本音で話し合おう」と言ったので、彼女は「私は、今まで本音で話さないような話しはして来なかったのですが」と答えたそうである。

 関東では、いつもいつも本音で対応するとけむたがられ、中庸を求められる。土佐だと、どっちつかずの中庸さは嫌われ「はっきりせい」と言われる。この差は大きい。

 上京すると、だいたい1〜2年で関東風の付き合いにも慣れる。しかし、この彼女と話していると土佐の女を変えず30年来たのがひしひしと伝わって来た。「郷に入れば郷に従う」のもいいが、従わないのもいいものだと思った。
 
2003.6.16  梅雨
 梅雨入りし、毎日蒸し暑い。四季に梅雨が加わると五季と呼ばれる。

 この蒸し暑く、ベタベタ感のある季節はなんとイヤなものである。湿度が高いと毛穴が開かないので、汗が出にくく、体もだるくなる。

 しかし、梅雨がないと日本人の主食である米は採れない。同じように、人間もこの時期の不快感を除湿などして快適に過ごすと夏に体力がもたなくなる。植物にとっても人間にとっても大切な季節なのだ。夏の体力の為にもこのベタベタを十分味わいましょう。

 体が重く、だるいときは、お風呂は半身欲にして汗を出すと解消するようです。
 
2003.6.13  東横線
 めったに利用することのない東横線の電車に乗った。渋谷駅を発車すると車内アナウンスがあった。

 「1号車、3号車、5号車等、奇数車両では、携帯電話をマナーモードに切り替え、2号車、4号車、6号車等偶数車両では、携帯電話をお切り下さい」とのアナウンスである。

 持病のある私は、電車の中で、いつも携帯の電磁波は受けたくないと思いつつも回りでは誰かが携帯を使い、移動してもまたそこで使っていて、最近は半ば諦めていた。今日のこのアナウンスは、そんな気分を救ってくれた。
 
2003.6.11  ツミの巣作り(2)

 朝の散歩で七時頃ツミの巣の近くを通った。写真もうまく撮れないだろうなという曇り空である。でも一人のおじさんが三脚を立て坐っている。

 「今日はちょっとむずかしいでしょう」と声をかけてみた。「人がいないときには、またツミの動きが違うんですよ。写真撮影は暗くて無理だが、ゆっくり観察できて興味深いよ」との返事だ。
 そして、こんなことも話してくれた。「皆は、雄が餌を運んで来て、巣から少し離れたところで、雌に瞬時に渡すのが独特のツミの動きだと思っているようだが、今日なんかは、雄雌が枝にゆっくりとまって、優雅にのんびりと餌を渡していたよ」

 実は、人が大勢いるから、危険を感じて、やらなくてもいい難しい芸当で、雄が雌に餌を渡していたのだった。

 「ほとんど皆が、目をひく場面だけを追って写真に撮っているようだが、それではツミのことは分からんよ」とも言っていた。巣立ちした雛に向ってもフラッシュの嵐を浴びせるのだから、最近は雛もすぐに居なくなるらしい。

 一体、主体は誰なの? ツミな話でした。

 
2003.6.10  ツミの巣作り(1)
 小鳥を主食とし、羽は灰黒色で腹面は白色をしたツミという鳥がいる。鷹の一種である。そのツミが巣作りを終え、子育ての時期を迎えている。見沼田んぼの一角の杉の木の上に巣を作っているツミがいる。

 朝六時前からカメラマニアが三脚を立て、ずらっと並んでいる。20日頃の巣立ちの時期までこの鳥を追うらしい。聞けば、シャッターチャンスというのが、雄が餌の小鳥を運んで来て、子育てをしている雌に、素早く巣の近くで渡す瞬間なのだ、とのことである。絶妙の瞬間芸で、独特の餌の渡し方なのだという。そして、もう一つは、巣立ちをする2日ぐらい前に、親鳥をまん中に子供達が一つの枝に勢揃いする、そのシーンがシャッターチャンスというのだ。

 でかい望遠レンズを並べてのマニア達の熱には、不況日本の姿は感じられない。
 
2003.6.9  共存
 毎日、入れ歯が気になってしかたがない。初めての感覚を脳も今必死で記憶してくれているには違いないが疲れるものだ。肩や首はコリコリで鍼灸院に行く始末。

 もしかして、自然でない入れ歯を毛嫌いしているか・・・・・? 
 自然の歯と人工の歯と私のこころが三位一体になることかも知れない。人間が共に生きるということもこういうことかも知れない。マクロに言えば、天人地の調和かも知れない。入れ歯の違和感がそんな思いをもたらして来た。
 
2003.6.6  入れ歯
 年と共に健全な歯が少なくなって行く。門歯の挿し歯を作りたいのだが失った歯が多い為に、たとえ挿し歯を入れたとしても長もちしないというのだ。それを無くす為に失った歯の入れ歯を先ず作り、その後で挿し歯を作るという。

 医学の進歩には目覚ましいものがあり、いつも驚かされるのだが歯科においてもシカりだ。右上3本、左下3本これにどのようにして入れ歯というものが出来上がるのだろか、想像もつかなかった。

 「なるほど」という代物が上と下2個出来上がった。金具の色が目立つものの口の中に歯が見事揃った。鏡で見たらホント、設計図通りで非のうちようがない。

 しかし、物を噛んでみると味はない、力がはいらない、十分に噛めない、イライラする、食事の会話どころでなく全神経が歯に行って疲れる。この感じは「地図と現地は違う」という表現に近い。「慣れて下さい」というが、果たしてこれが慣れるものだろうか?

 長寿村のお年寄りなんか歯茎でおせんべいバリバリ噛むという。その気持がよくわかる。その方が確かに長生きできるような気もして来る。しかし、この年でまだもぐもぐはちと情けないかなと思うし....。
 
2003.6.4  ブルーベリー
 私の住んでいる近くに見沼田んぼがある。

 その一角には氷川女体神社があり、近くに公園もありいいところである。最近は「あんきんたん」とか言って、安くて、近くで、簡単ということで、休みの日にはグループや家族連れも多くなった。

 ある日、その公園で木から赤い実をもぎ取っていた女の子が居た。何気なく目があってしまったので何の実か訪ねるとブルーベリーだという。ジャムにするんだという。

 翌朝、散歩に行った時、氷川神社のさい銭箱の前にブルーベリーの赤い実が5〜6個置いてあった。置いた主は? 咄嗟に私も夫もあの女の子を想像していた。
 
2003.6.1  地震
 遠野で馬を飼っている先輩から電話があった。先日の地震は、山肌や地面を思ったよりずっと傷付け、液状化現象も激しいという。

 この先輩は、長い間、岡山の牧場に居たのだが、アメリカの世界貿易センタービルが爆破された映像を見た瞬間、残された人生、夢であった「馬の種付け」をやろうと決心し、岡山の牧場を辞め、自分の馬をまず3頭買って遠野に移り住んだ人だ。先輩は人間と同じように馬や犬とも話ができる。

 この地震の時、馬はヒヒ〜〜ンと慌てたが、ラブラドールの二匹の犬はビクともしなかったらしい。先輩は朝、仕事先の地場産直売所に入った瞬間に、その日に限って、棚の上のビンものをなんだか下に降ろしたくなって降ろしたという。その夕方、地震が来たというわけだ。
 昔から、動物みたいな人だと思っていたが、この直観力にはいささか驚いた。
 
2003.5.29  臍の坐り
 ちょうどSARSが流行し始めた頃、お茶の勉強で中国に留学の決まったYさん。落ち着いたらメールするからと旅立った。その後、SARSは増える一方で知人は皆、案じていた。何の便りもないので、こちらから「もしや」と思いメールを送った。そしたら杭州に居る彼女からメールが届いた。

 「5月の初め頃、韓国、日本の留学生の半数以上が帰国し、大学に居たもう一人の日本人も帰国した。私は朝5時起きして近くの公園で太極拳をして7時に宿舎に帰り授業にでている。中国語がまだ分からないのでまず中国語を勉強して、9月の新学期からお茶の勉強に入るので来年の7月頃、帰る予定です」というメール。

 改めて彼女の根性に度胆を抜かれた。こういう状況下での臍の坐った動きはどこで培われるのだろう。
 
2003.5.28  磁場(2)
 戦後、食糧難の時代、国からの命令で作物がよく育つ土地を探して全国をまわっていた研究チームがあった。そのチームが六甲山で岩の上から松の大木が育っているのを見つけ、そこの磁場を調べたらすこぶるいいのが分かった。そこで全国の大木のある神社仏閣を調べたところ、どこもいい磁場を持っていたという。

 大昔は磁場を計る器械があるわけでなく、人間の身体自体がセンサーだったのだ。神様にまず一番いいところに鎮座してもらって、村を守っていただいた。その場に身を置けば、場の力(エネルギー)で癒されるという物理である。

 本来、人間のもっている直観力をもっともっと大昔の人のように磨きたいものである。
 
2003.5.27  磁場(1)
 神社の磁場にはすごいものがある。夫の腰痛が神社の境内にしばらく居ただけで8分通りよくなったのだ。

 以前、腰痛気味の時、たまたま、ある神社に行った後でよくなったことがあった。その時は、「まあ、こんなこともあるか」と軽く済ませていた。今回、それを思いだし、疑心暗鬼な思いを抱きながらも、その時と同じ神社に行った。鳥居をくぐって少し歩いたところで、痛みをかばっていた部分がフーととれる感じがはっきりと分かったというのだ。

 神仏をまったく信じない夫の話である。
 
2003.5.23  万歩計
 定期検診で主治医に「一日何歩ぐらい歩いていますか」と聞かれた。そんなこと計ったこともなければ気にもかけて無かったので分からない。

 「心臓の持病があっても、一日最低5000歩は歩く方がいいです」と言われてしまった。どのくらい歩けば5000歩になるのか全く見当がつかない。初めて万歩計というものをここ2〜3日着けてみた。

 私の場合、家から出ないでいた時は200歩ぐらい、買い物とか近くに出た場合は1500歩ぐらい、今日、さいたま新都市〜北浦和に用で出かけたら6300歩ぐらいだった。5000歩というのは、自分で思っていたより、結構歩くんだと実感した。
 
2003.5.21  歯医者さん(2)
 まず1軒目、診察台に坐り、看護婦さんに相談の旨を伝えた。それを看護婦さんが院長に伝え、院長と言う人が来た。

 「やさしく治療しますからね、安心して下さい、痛いのはいやですからね、やさしくしますから」と妙に愛想がいい。歯医者さんもここまでサービスしないとやって行けなくなったのかと思い、「やさしくなくてもいいから、きちんとしてほしい」と思わず口から出てしまった。

 とにかく、「レントゲン撮ります」というので「この間、内科の検診でとったので、今日はレントゲン撮るのは嫌です」と言った。これで「うちでは出来ません」と断られるかと思ったが「じゃ、レントゲンは折を見てやりましょう、しかしそのままでは噛むのたいへんでしょう、そこだけ何とかしておきましょう」と何とかしてもらったので、そのままこの歯医者さんとの付き合いが続いている。

 この歯医者さんは、患者の私と話しているというより、ほんとうに歯を慈しんでいる人だなと最近感じている。
 
2003.5.20  歯医者さん(1)
 日常生活の中で、お医者さん、美容師さんは自分と気の合った人の方が落ち着く。そして、なるべく近距離に越したことはない。しかし、そういう人と出会うまでなかなか時間のかかるものである。まして引っ越しした時はたいへんである。

 私も歯医者さんを決めるのに、「市民が推薦する信頼できるお医者さん」という市民の医療ネットワークさいたまが出してる小冊子と近所や友人の方々の情報、そして自分の感覚からとりあえず3軒選びだした。

 とにかく、3軒回ってみて、こちらの相談に乗ってくれて、自分と合そうな人を見つけようと決めた。

2003.5.18  きゃらぶき
 きゃらぶきは大成功だった。

 湯がいたフキを皮を剥がないで3〜5センチに切り、同量の酒と醤(人によっては砂糖やみりんを入れ)にとうがらしを2本ぐらい入れ、4時間煮た。美味しいきゃらぶきが出来上がった。

 友達にあげたら、ある人が「これを太陽に干して保存するとかなり長もちするよ」と教えてくれた。これでやっと、フキにたいしても群馬のおばさんにたいしても面目が立ったような気がした。
 
2003.5.15  山菜
 山のようなフキ、独活、蕨、こごみ、ノニンジン、みつば、さんしょうが届いた。夕飯のメニューはフキの煮物と天ぷらだ。

 それにしても蕨とフキは食べ切れないから、お隣のおばあちゃんにおすそ分けした。「孫と娘は食べないけど私が食べるからいただくわ」と喜んでくれた。「若い時はよく私も取りに言ったよ、谷間に生えてるフキは柔らかく、岡のものは硬いよ」という。「きゃらぶきやさんしょうのつくだ煮も当時はよく作ったよ」と話してくれた。

 ちょうど、「さんしょうをこんなにたくさんどうしよう」と思っていたのでタイミングよく作り方が聞けた。お年寄りはほんとに何でもよく知ってると感心した迄はいいが、ガスにさんしょうをかけたまま忘れ、焦げ臭い匂いで気がつき、鍋の蓋を開けると半分焦げていた。群馬のおばさん、ごめんなさい。おばあちゃんのようになれるのはいつのことやら、トホホホ・・・・。

2003.5.14  宅配
 群馬の榛名町では今が山菜の盛りらしい。先日、フキ食べますか? という電話をいただいた。

 その方は時々、都内の友人達にも野菜や山菜を送ると言う。泥付きや山菜に付いた雑草も入り送ったところ、都内の友達が泥まで入っていたとか、嫌がらせでいろいろ入れて送ったとか、フキはいらないのにとか言われ、好意でしたことが裏目に出て淋しい思いをしたことが何回かあったという。

 だから、最近は送る前に電話をするんだという。確かに合理的な生き方をしている方は迷惑かもしれないが、土や雑草に触れることでいろんなイメージが沸き楽しくなり、自分が嫌いなものであれば、お隣さんに差し上げるとかならないものだろうか。百人百様でしかたがないか・・・・・・・。

2003.5.12  大人の自覚
 同じ浦和市(現在はさいたま市)でも住むところにより随分まわりの環境が違う。考えればごく当たり前のことではあるがおもしろい。今住んでる近くに小学校がある。その小学校は地元との交流が活発でPTAでなくても学校から依頼が来ることがある。

 以前、課外授業で子供達が昔のおやつを聞きたいと4人グループで我が家に来たことがある。それが縁となり、思い出したように子供がふと来ることがある。

 先日もケーキ作りを教えてほしいとやって来た。バターもバニラエッセンスも使わず、黒砂糖で作ったシンプルなケーキを一緒に作った。なぜ白砂糖やバニラエッセンスを使わないのかも説明したがどこまで分かったものか・・・・・・。でも、買ったケーキとの違いは敏感な子供の舌が感じ取ったようだった。

 住民として地域の子供たちと接するのは楽しいものだがそれだけでは済まされないものもある。こちらも大人としての自覚をもって接するのはたいへんなことだとつくづく思った。

2003.5.11  居酒屋
 居酒屋のメニューの値段が最近はとても安いように感じる。いくらチェーン店と言ってもこんな値段ではとうてい作れないだろうと思うメニューもある。

 野菜など生産現場のたいへんさを見ている者としては、何だかせつなくなってしまった。

2003.5.9  衣更え
 昨日は夏のように暑く、今日は寒い。なかなか気候が定まらない季節だ。

 確かあの服はと、衣装ケースを何個かひっくり返し急いで外出する。衣更えはまだ早いと思うから、狭い部屋はますます狭くなる。

 いつか友達が今度、家を建てるときは、春夏秋冬用の洋服コーナーを部屋の四方に作るのが夢だと言ったが、この季節になると思い出す。

2003.5.7  子供の日
 子供の日に田舎の甥っ子に前々から言われていたガンダムのプラモデルを送った。お礼の電話がかかって来た訳だが、以前送ったものと同じ種類のものがあったらしい。

 おもちゃ屋では、かなり広いスペースにガンダムが山のように置かれているのだ。一口にガンダムといっても子供の世界を知らない私にとっては全部同じに見えるのだ。おもちゃ屋さんは「ガンダムの世界は、5000円のものより800円のものが子供にとっては、すごい価値のある世界でもあるんですから」と言う。なんとか吟味して選んだがこの始末であった。

 「ごめんね、分からなかったから、ダブちゃったね」と言うと、「謝ることは違う、僕うれしかった」という言葉が受話器の向こうから聞こえた。小学二年生である。

2003.5.6  コンニャク
 コンニャクの手当てがよく効くのは、コンニャクの持つ特性であると思われる。

 まず、コンニャクにするコンニャク芋は3年以上経ったものである。ここで時間というものを経過したものだと言える。例えば、味噌や漬物も時間を経過したほど、身体には効用がある(陰性の人は特に)。また、胆嚢に石がたまった時などコンニャクを食べて出る人もいるくらい、コンニャクには排毒作用がある。

 こんな素晴らしいコンニャクの持つ働きが身体の健康を助けてくれる。
 
2003.5.1  手当て
 体調の悪い時の「手当て」には数多くの方法がある。その中で簡単でよく効くのがコンニャクの手当てだ。

 市販のコンニャクを2個買って来て、10分ぐらい鍋で温める。それをタオルに包む。熱いようだったらタオル2〜3枚使う。一個は肝臓に当て、もう一個は腎臓に20分くらい当てる。あまり気持が良くて、そのまま寝てしまうことも・・・・・。同じコンニャクを使用していいので、これを3〜4日続けるとほんとに気持がよく、身体が楽になる。

 肝腎要という意味もなるほどと思えて来る。

2003.4.29  そら豆
 お買得のポップの付いたそら豆が目に入り買った。今が旬で見ただけでも美味しそうだった。先日、知人が「そら豆をオーブンでもガスでも何でもいいから焼いて食べるとおいしいわよ」というのを思い出し焼いてみた。

 「美味しい!もっとないの?」と夫。酒のつまみにもなるらしい。手の離せない私は「そこにあるから、自分でサヤから出して焼いて」と。ゴソゴソと袋に入ったそら豆を出し、食べたい為に自分でその作業を始めたようだった。

 「俺たちは命を食べているんだなあ」と神妙な夫の言葉。主婦はいつも料理しながら、素材と直につき合うので「命を食べてる」という感覚は男の人よりはある。

 グリーンの美しいサヤを開けると綿のような内側の中から、大切に守られていた新鮮なそら豆が顔を出す。それらを手で触わって、見て、そりゃ感動する。これを食べる。夫の中ではこの時、「食べる」が「いただく」となったかも知れない。

2003.4.28  電車の中で
 電車に友達と腰掛けていたら前に学生服を着た男の子が立った。カバンを背負って荷物を一つ持って、えらい疲れた感じだった。友達も同じ感じを受けたのか「替わってあげたいけど、こんなおばさんが若者と替わるのも変だよね」という。私も「向こうを傷つけちゃうかね?」と。

 今朝も電車で、中年の男性と若者の男性の前にかなり年輩の女性が立っていた。中年の男性の方が、気が付いて席をたった。女性は「次の駅で降りますからいいですよ」と言ったけど、好意を受けて一駅だったけど坐った。隣の若者は目をつむっていた。

 この話を友人にすると「席を譲るの、勇気がいるよね。相手にも回りに気を使うし、だから私、席が空いているときは、その貨車の端っこに坐るの、そしたら、あまり回りに気を使わなくて、前に来た人とだけ替わればいいから」という。

 他人のことなんか気にもしないで、勝手気ままに行動する人もいるけど、彼女のように、回りを必要以上に思いやると生きるのがたいへんだろうなと思った。

 いいかげん・・・良い加減というのはほんとにむずかしいものだ。

2003.4.27  校友会
 高知から関東に来て、十一年目になる。昨年、友達が関東地区校友会の百周記念に出席したのがきっかけで私も校友会と縁が出来た。

 校友会は、年に一回催され、当番は卒業回生で持ち回りである。今年の当番がちょうど67回生、私達が卒業した学年に当たるらしい。担当の幹事さんはたいへんで当番幹事さんを募っていた。そこに私と友達にも白羽の矢があたったらしい。

 呼び出しで幹事会というものに出席する羽目になった。出席幹事さんが47名、それに私達当番幹事11名、計58名の幹事会だった。出席者の一番の年輩が85才、下が38才である。皆、土佐のDNAを持った方たちだ。県人会にも行ったことないし、関東に来てこんな空間に身を置いたのは始めてであった。活発な意見の交換もあったが、その中に懐かしい空気も感じた。

 「身土不二」という言葉もあるが、人間だってその土地で採れたっていうことだから、採れた土地や環境に身を置くと自分では自覚できなくても生命事体は安らぎ、エネルギーをもらうんだろうなと思った。

2003.4.25  朗読
 朗読のサークルで先日、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の中の『水仙月の四日』を練習した。

 まず、最初のグループの何人かで読み終えた後、清水マリ(声優)さんが「賢治の書いたものは、地上と天上、そしてその空間とがあり、ここでは空間を雪童子達が暴れる。雪婆、雪童子、狼の特徴をとらへて読むといい」とコメントを入れてくれ、次のグループが読んだ。

 ただ、それだけのコメントなのに最初のグループと何かが違って来た。その次のグループになるともっとよかった。皆の読解力なのか、賢治の文章がいいのか、コメントがよかったのか、日本語のもってるチカラなのか・・・。声というものは不思議だ。

2003.4.23  政令指定都市

 街の角々でリクルートスーツを着た新入社員と思われる若者を見かける。新しく社会人となり戸惑うことも多い日々であろうと想像する。

 戸惑うのは、どうも新入社員だけではないらしい。今度、区制がしかれた浦和(正確には「さいたま」)も今までの市役所は「行政センター」に、そして各区には区役所がおかれ4月から業務を始めた。

 4月までに送られて来るべき様式変更の書類が送られてない。それを病院の窓口で初めて知る。

 市役所に電話をすると「何区の方ですか?そちらの区に回します」。回された次のところ(区役所)では「住所を教えて下さい、明日送ります、すみません」ということだ。
 役所の手際の悪さや住民に強いる不便さに呆れると同時に、合併にともなう印刷物などの無駄は数知れないだろうと想像したことだった。

 日本各地で住民不在の合併が進んでいる。

2003.4.22  祭り寿司
 友人に祭り寿司の作り方を教わった。巻き寿司のひとまわり大きなものだ。金太郎飴のように切って行くと絵を描いたような巻き寿司ができる。季節の花、動物といろいろだ。

 その友人が習った教室では、白米に色を付けるために着色料を用いてたようだが、私達は黒米を使ったり、かんぴょうには梅酢で色をつけるなど工夫してみた。

 今回は、紫陽花の花の巻き寿司を作った。黒米入りの寿司飯で花びらになる部分を5本つくり、葉はきゅうりを海苔で巻き、それらを卵焼きの上に白米の寿司めしを広げ、全部一緒に巻き込むのだ。料理をしているというより、まるで美術の時間だった。金太郎寿司に最初包丁を入れ、その出来具合いを見る瞬間は何とも言えないものだ。

 料理教室に通っている男の人で「私はこの寿司は女房以外の人の作ったものは、食べたくない」と云ったそうだ。手はきちんと洗ってはいるが、手で工作したものを口にいれるのだからその男性の気持も分からないでもない。

2003.4.21  JAS法
 自然食品のお店に置いてあるマヨネーズの生産者に、農林水産消費技術センターからクレームが入ったらしい。

 マヨネーズは、油、卵、酢、塩で出来ており、甘味のほしい人はこれに砂糖を少々加える。この生産者は、材料にこだわり、油は搾り菜種油、卵は平飼いの有精卵、酢は純リンゴ酢、塩は自然海塩、甘味には、無農薬の蜂蜜を使っていた。

 日本農林規格(JAS)法が定めたマヨネーズの定義には、必須の原材料には「糖類」とあって、畜産加工品に分類される蜂蜜は含まれてない。だからJAS法の表示違反にあたるというのだ。品質の良いマヨネーズがマヨネーズとネーミングできなくなったのだ。

 農産物に関するJAS法のおかしさは以前から思っていたが、ここにもあった。JAS表示のない商品にも本物はある。それが判る消費者でありたいものだ。その為にはやはり材料と直に接触し、手作りし、舌や手や目の感覚を鍛えるしかないのかな。

2003.4.19  ビール
 昨日のように暑いとビールが美味しい。

 一口にビールと云っても一般のビールと発砲酒とエビス・モルツ・銀河高原ビール類では、身体に対しての働きが全然違う。もちろん値段も違う。使っている原材料も違う。一番違うのが製造過程だ。ビール酵母をろ過するか、酵母をそのまま残すのとは大違いである。

 その酵母には、アミノ酸、ビタミン、ミネラル、食物繊維、核酸が含まれ、それらは生活習慣病を予防する大事な要素でもある。また、ビール酵母にはニンニクのニオイ分子を吸着する働きもある。

 値段は少し高いが3本飲むところをを2本にしてもその値打はあるのではなかろうか。

2003.4.18  鹿の湯

 久し振りに那須で温泉三昧をした。その中でも「鹿の湯」は硫黄泉でPHが2.5と超酸性である。那須に来てこの温泉に入らないと那須に来た感じがしないという人もいる温泉である。今どき珍しく石鹸、シャンプー、を置いてなく、シャワーも設置してない昔の情緒をしっかり残した温泉である。

 PH2.5だから、長湯はできない。人間の体のPHが7前後だったと思うから、かなりの浸透圧が生じ、からだの毒素を出してくれたようだ。

 温泉もそのときの体調と気分で湯質を選べば、いっそう身体も喜び、温泉の楽しみも増しそうだ。

2003.4.15  ビールとクリームパッフェ
 レストランや喫茶店に入った時、ときどき見かける光景がある。若い男女が話しているテーブルに置かれているビールやコーヒーにクリームパッフェ。男性の前にあるのがクリームパッフェ、女性の前にあるのがビールやコーヒーなのだ。

 何年か前まではクリームパッフェは女の食べ物と相場が決まっていた。食べ物の変化と男女の有り様の変化は関係ないのだろうか?

2003.4.14  鹿の肉

 秋田の友人のお父さんが亡くなってから、鹿の肉を食べることがなくなったなと思っていたら、今度は南の知人から、毎年、猪と鹿の肉が届くようになった。

 初めて秋田で鹿の肉を出してもらったとき、「うえ〜、食べるのいやだ〜」と正直思った。しかし、出して下さった人に悪く一つだけと食べたところ、私の想像は全く外れていた。豚肉より臭くなく、脂分はほんとに少なく、やわらかく美味しいのである。

 よく考えてみたら、野生の動物は、山奥で天然自然の添加物なんかのない新鮮な食料を食べているのだ。そして、今はどこでも食料が手に入るが、大昔は雪国の人達にとっては長い冬を元気で暮らすための食料だったのだ。

 もともと肉を食べなくてもいい味覚なのだが、一年に一回秋田の友人のお父さんを思い出しつつ鹿肉をご馳走になっている。その鹿肉が今年も届いた。

2003.4.13  自転車に乗れた
 感激の少ない昨今なのだが、近くの公園で感激のシーンに出会った。日曜日ということもあって、お父さんと子供のカップルが目立っていた。その中で小さな小さな自転車の両輪を外し、一生懸命自転車に乗ろうとしている子供、それを見守っている父親の姿があった。

 その姿を20分ぐらい追っていただろうか、その子が自転車に乗れちゃったのだ。思わずこちらが「やったー!」という声と拍手が出てしまった。お父さんがこちらに来て、「今日、両輪をはずしたんですが、一日ではダメかなと思っていたんです。30分ぐらいで乗れましたね。僕が自転車に乗れたときを振り返ってみると、もっと転んでたいへんだったような気がするんですがね」と、我が子はまんざらでもないという風だった。私が「しかし、感激ですよね」と云うと「ええ!」とお父さんも感激していた。

 乗りたいという強い意志、転んでも転んでも続ける、気がついたら乗れちゃってる。そのプロセスを目の前で見せてもらった。乗るのは理屈じゃないんだと・・・・有り難い時間だった。

2003.4.12  捨てられた犬

 朝の散歩で犬を連れた人と出会うことは多い。今日はボールで主人と戯れている犬を見た。端から見ていても主人を信じ切った動作はいじらしい。

 猫好きの知人の話である。今世間では、チワワ犬など小型犬に人気があり、ひと昔人気だった大型犬が千葉の海岸にたくさん捨てられ、地元民は困っているとのことである。車が通る度に主人かもしれないといつまでも車を追っかける犬もいるらしい。

 猫好きの知人は、「信じられない」と興奮ぎみに捨てられた犬のことや飼主のモラルのなさを嘆いていた。動物を飼っていない人間が聞いても「あなたの住んでる家に犬10匹入れようか」と云ってみたくなった。

2003.4.11  榊
 花屋さんで買った榊には、持ちの良いのとすぐ枯れてしまうのとある。長くもってくれるとうれしいものである。
 
 昔、父が榊を山にとりに行くときは必ず時計を見ていたように記憶している。切る時には長もちする時刻があるというのだ。

 子供ごころに聞いていたが、自分が榊を買う歳になり、そのことを思い出し、「そうかも知れないな」と思う。花屋さんでは、取った時刻までは分からないし、「榊さん榊さん、ど・れ・に・し・よ・う・か・な・・・」と選んでいる。

2003.4.10  栗焼酎

 麦焼酎、蕎麦焼酎、米焼酎、芋焼酎と最近は焼酎の種類も多くなった。今日、田舎からの宅配便の中に栗焼酎が入っていた。

 秋田には、酒の貯蔵に廃線のトンネルを利用している蔵元があるが、この栗焼酎の蔵元は防空壕を利用しているとのことである。

 ともあれ、甘くて美味しい栗焼酎!

2003.4.9  できない整理

 知人とFAX俳諧をやっている。俳諧とは「座の文芸」と言われているくらいで連衆が一同に集まり、その場で歌仙を巻くのが本来である。FAXの場合、場で得る醍醐味はないが、文明の利器を使っての俳諧もそれなりに楽しいものである。

 FAXで2〜3か月かけて一つの歌仙が終わった時、連衆が一同に会する。その折に感じたことである。

 AさんはFAXで送られて来たものをきちっと順番に綴じ、おまけに知らない季語とか言葉が出て来た時は、インターネットや辞書で調べ、その用紙も綴じ込んである。私も含めBさんは、世話人がまとめてくれた清記の紙一枚の持参である。これが2年3年経つとその差は大きい。わかちゃいるけど出来ない日々である。トホホ・・・。

2003.4.8  俳諧

 夏目漱石がロンドンに留学したとき、知人を集め、明けても暮れても「俳諧」をやっていた時期があったらしい。また、寺田寅彦は、「俳諧が日本の国から消えるときは、日本の国も滅びるだろう」と言い残している。

 漱石や寅彦のようには思えないけど、俳諧(連句)は、知れば知るほど奥が深く興味のつきないものだ。

2003.4.7  選挙カー

 朝の静寂を選挙カーの声で破られてしまった。一週間前からの選挙カーでの叫びは果たして必要なことだろうか。

 スイスの女性と結婚して日本に住んでいた夫の友達の話である。その夫婦に子供が出来たある日、選挙カーのスピーカーから流れる声を聞いた妻は夫に「あれは何ですか?」と質問したと言う。夫は「市の議員になる為の選挙運動だ」と答えた。そしたら妻は「名前の連呼だけで騒音以外の何ものでもないではないの」と夫に疑問を呈した。それを受けて夫は「これが日本の選挙なのだ」と回答した。妻は「私は子供をこんな国で育てられない。スイスに帰ります。あなたはどうしますか?」と言ってスイスに帰ったそうです。

 そろそろ、日本の選挙のあり様を本気で検討してもよい時期ではなかろうか?

2003.4.6  温泉と銭湯の違い

 大宮公園の桜の木の下で、思いっきり太陽の陽射しを浴びて来た。桜は満開、雨の次の日は日曜とあって人の山。公園ではカラオケ、屋台はお祭りのときのようにずらっと並び、焼き鳥の匂いも時折風に乗って来る。おまけに県議市議選が真近かとあって選挙カーが次々と・・・・・。

 昔、山の中で温泉を営んでいたおじさんが「最近は、温泉を銭湯と間違えているのか、頭をシャンプーでジャブジャブ、体を石鹸でゴシゴシ、温泉と銭湯の違いの分からない客は来なくていい」と愚痴っていた姿を想い出した。

2003.4.5  桜と血液

 桜で思い出したことがある。「桜の薄ピンク色の花びらを透かした光線は、日本人のDNAを持つ血液の波動にもっとも近く共振現象が起きる。花見で桜の木の下で踊ったり、歌ったりするのは酒が入ったからだけではなく自然と体を動かしたくなるんだよ」と言った人がいた。

 私はその話を聞いた年から、桜が咲いたら一度は太陽の差す桜の花の下に行くことにしている。ほんとにエネルギーが充電できる感じがするから不思議だ。

2003.4.4  さくら

 あちこちで桜が満開となった。日本各地の桜の銘木を見たり、聞いたりよくするが、今年は都内で見事な染井吉野と枝垂れ桜の大木を見る機会を得た。

 個人のお宅の庭にある桜の樹なのだが、屋根の上にベランダがあり、そこから見ると枝々が頭の上を通りその家の屋根をすべて被い尽し、まだ露地を隔てて隣のベランダにも懸かっている広がり様・・・。幹はもちろん私の両手では囲めない。今、86歳の家主の息子さんが生まれた時に苗木を植えたというから、50数年経っている。50年の樹だとは思えない巨木なのだ。

 ある時、家主さんが庭に出て桜の幹をポンポンと二回たたくと上の枝がザワザワと二回したという。気のせいかなと思いもう一度ポンとたたくとザワと一回、ポンポンポンと三回たたくとザワザワザワと三回返してきたという話をして下さった。その話を聞き、ここの家主さんと桜のつき合い方が想像でき、50数年でこんなに見事でおおきな樹になったことに心から納得したことだった。

2003.4.3  呉汁

 豆腐と一緒に出来たおからで「おからボール」と「おからクッキー」を作り、一晩水に浸けた大豆の残りで、「呉汁」を作った。 

 一緒に作った友達のご主人とおかあさんを交えて、それらで昼食を共にした。ご主人とおかあさんが呉汁を飲むやいなや「ああ〜、懐かい、50年ぶりかなあ、美味し〜い」と声をそろえて言った。そんなことは何も知らずに作った私、まして奥さんはびっくり。

 呉汁が細胞に沁みた時、一瞬にして子供の頃の記憶が甦って来たんだ。からだ(細胞)はちゃんと覚えているなんてすごいものだなあと思った。そして、「呉汁」作ってよかったなと・・・・・。

2003.4.2  豆腐と水
  今年は、味噌を作った時の大豆が結構余った。そのまま忘れて翌年まで持ち越すこともあるのだが、今日はそれで豆腐を作ってみた。豆腐も酒と同じように水が命だなと改めて思った。一晩水に浸け、大豆がその水を吸って、その浸け汁と一緒に火にかけ、豆乳をつくり、ニガリで固め、水に放つ。大豆と水との響宴だ。
 また、大豆の煮え具合を匂いで覚えることも美味しい豆腐を作るためには大事だとわかった。

2003.4.1  言葉の定義

  自分の思いを相手にきちんと伝えることはほんとうに難しい。「そんなことを言ったんじゃないのに」と思っても、相手が聞いたようにしかこちらは言えてないのだからしかたがない。

 自分の伝えたいことを正確に言語化出来る秘訣はなんだろう? 少なくてもお互い話す同志は、使う言葉の定義が共通(例えば、「国家」という言葉を話す人がそれぞれで同じ感覚で国家という言葉を使う)でないとうまく伝わらないかも知れない。

 昔、リーダーとは、「あらゆる科学と技術の最高の審判者で、万人に健康と幸福のメカニズムを子供にもわかる言葉で解き示すことのできる予言者である」と定義づけた人がいた。 

 ブッシュさん、あなたはリーダー?

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