時空を超えてヒントを与え、天に昇っていった。
【故・友田不二男という人】
2005年2月7日朝、電話のベルが鳴った。「友田さんがお亡くなりになりました」。受話器を通しての早朝の一報は訃報だった。
友田不二男、2005年2月5日逝去。享年88歳。
最後に面会したのは2004年4月20日、千葉県内の入院先の病室だった。そして、最後の交流は、同年12月、畑で収穫したサツマイモをこちらから送った行為と、「うまい」という食後の感想を人づてに聞いたことだった。
が、2月2日頃から不思議と言えば不思議なもので、彼と松尾芭蕉の蕉風俳諧をからめてひとつ、原稿を書き進めており、2月5日には、彼が当初より示唆する「ブライアンの真空」なるものに思いを巡らせて、改めて得心していた。
そして、何気なくGoogle検索で「友田不二男」で表示されたページリストの幾つかにアクセスし、書かれているものを読み進めていき、極めて広範囲な人たちが折に触れて彼の論や実践を参考にして自らが自分の世界で様々なアプローチを展開しているのも、改めて知った。
「生きていようといまいと、結構いろんな人の心に深く根を張っている」等々、彼が他界する数日前から、思えば、知らず知らずの内に友田論について吟味するなど、言わば「友田デー」を過ごしていたのだった。
ちなみにその頃、連句会用に解説原稿を書き進めていた彼と松尾芭蕉の蕉風俳諧をからめたものは、大雑把には以下の如き内容のものである。
●その手がかりは芭蕉の蕉風俳諧にあった●
芭蕉の「蕉風俳諧」が潜在させているものについて、「蕉風俳諧はまさしく、日本人の手による日本人のカウンセリングだ」と言ったのは、日本においてカウンセリングというものを概念化し、普及・定着させた友田不二男(日本カウンセリングセンター元理事長)という人だ。
友田氏は、西洋、特にカール・ロージャースに学びながらも、カウンセラーとしての臨床経験を蓄積するに連れて「東洋思想」へと傾斜していく。そして、老子・荘子の研究から、やがては「芭蕉の跡を辿る」成り行きとなり、ついには俳諧というものに行き当たる。その時のことを彼は次のように述べている。
「行き当たった時には、ほんとうに驚きもしましたしアキレもしたものでした。まったく、まったく、不勉強に打ち過ぎたものでした。カウンセリングということを概念化し、認知し理解して体験学習なるものを重視・力説してまいりましたが、用語こそ違え、この種のことは実は蕉風俳諧において三百年前に行動的に実践されていたのでした。太陽の下、新しいことなし、と申しますが、ややもすれば私どもが、新しいの古いのと、口角泡を飛ばしていることも、本質的には、温故知新の埓外に出るものではないのであります。俳諧とカウンセリングについて端的に申せば、俳諧もカウンセリングも等しくグループ・ワークであり、両者ともに言葉を道具としておりますし、就中、蕉風俳諧は、言葉を介して表明された人間の真情に焦点を合わせるものなのであります。そしてさらに蕉風俳諧にのみ限定して言えば、歌仙は三十六歩也、一歩も後に帰る心なし、は、カウンセリングのいわゆる、過去は問わない、を地でいくものですし、芭蕉のいう、誠をせめる、はそのままカウンセラーの純粋さ、に通じております。そして、捌き手の付け句は、カウンセラーのレスポンスに他ならず、具体的・行動的に、自己一致を遂行しているのであります」。
また『三冊子』(さんぞうし)にある芭蕉の言葉「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習え」に触れて、次のようにも述べている。
「人間は私意に駆られている限りほんとうの意味での学習はできないし、松や竹を対象物として向こうに置いている限りほんとうの意味での学習は成立しないのです。ほんとうの意味での学習は、対象もしくは対象物の中に入り込んで同一化し、そこでかすかに感じたその感じを、出来るだけ正確な言葉にするというところから展開するのです。学習の基盤もしくは出発は、考えるということではなくて、感じる、ということなのです。一語すれば、なによりも肝心なことは自然ということである、ということです。意識的とか意図的とかいうことは、少なくとも学習にとっては害にこそなれ益はありません」。
1970年代後半からカウンセリングの体験学習の世界に「俳諧(連句)」を積極的に導入して以来、今も連々と続いている「友田俳諧」の講座は、カウンセリングを志す人たちのみならず、広く一般の人にも開放されて現在に至っている。
こうした内容のものをまとめた後、私は、それらともまったく無関係に、別件で、まったく個人的に、解けない謎のような堂々巡りの迷路にはまり込んでいた。
そんな時、私が迷路にはまり込んでいることすら知らない女房が、「ここにも友田先生に触れて書いてある論文がある」と、1冊の本を差し出すのであった。
「ほらよっ!」と彼女が気軽に差し出した書籍は『禅セラピー』(デイビッド・プレイジャー著)というものだった。
これには驚いた。友田論を読み進めるに従って、脱出不能と思い煩っていた私の堂々巡りの迷路は、一瞬にして消えてなくなりそうになったではないか。
私の迷路は、堂々巡りの迷路というくらいだから、なかなか言語化できない。そこは寛容に含みおき頂くとして、簡略に言えば、世俗に対して思い煩う堂々巡りや落胆などの解消法あるいは転換法は、やはり究極は「孤高」あるいは「隠遁」なのか? と考えざるを得ないものなのか等々の、よくある、ぐじゅぐじゅ状態のニュアンスだと承知願いたい。
『禅セラピー』には友田論の真髄でもある「ブライアンの真空」が次のように引用されていた。
「友田は、ロジャースの著書の翻訳と紹介に先導的な役割を果たしました。<中略>友田がロジャースの初期の代表的著書『カウンセリングとサイコセラピー』(1942)を検討した時、決定的な転換がもたらされたのです。同書はセラピー文献のランドマークで、それによって、単にセラピストがどんな理論を支持するかよりも実際に何をするかということに焦点を当てるセラピー研究の新次元が切り拓かれたのです。実際の面接場面の広範な逐語記録が掲載されたもので、引用された事例は『ハーバート・ブライアンのケース』と呼ばれています。友田は、折々にブライアンが真空、すなわち独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。そして、人間というものの唯一の真実を描き出していると捉え、友田は、真の孤独について次のような見解を示したのです。
『人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぽっちである時に生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。が、しかし、真の成長や転換が起るのは、現実の人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない。このことはまた、禅の真理でもある』。<中略>
友田が言う『完全に一人ぽっち』という新たな概念化に於いての『真の孤独』とは、人が過去の心惹かれるあるいは気掛かりな思い出が去来して心が煩わされることがない、人が未完の仕事に固執していない、人が希望や希求にすがって生きていない、あるいは現実の生活の始まりを待っていない、といった種類の孤独です。この特別な形態の『独りでいる』ことは、『内在化された対象』を手放すこと、人生をあるがままに、やってくるがままに受け取ることを伴います。友田はこれを『ブライアンの真空』と呼び、この用語は、日本の心理学において一般的に受け入れられるようになりました。」
繰り返すが、これには驚いた。勿論、『禅セラピー』を著したデイビッド・プレイジャーの明晰な文体のおかげでもあるのだが、著者の解釈も含むこれらの『完全に一人ぽっち』という友田論を読み進めるに従って、脱出不能と思い煩っていた私の堂々巡りの迷路は、一瞬にして消えてなくなりそうになったではないか。
そして、その日が、ちょうど2005年2月5日だったことにも驚いた。
解けない謎のような堂々巡りの迷路にはまり込んで、また途方に暮れそうになっていた私に、友田不二男という人は、時空を超えて何気なくヒントを与え、2005年2月5日、天に昇っていった。見事なものだ。
(2005年2/26記)
【続く】
私たちは「取材」という行為を通して、様々な事柄やら人やら現象やら気付きやら発見やら、とにかく色々なものに出会う。
裏もあれば表もあれば上もあれば下もあれば、計り知れないものもある。
そんな中で、やはり「ほんまもん」は極めて希有なのは確かだ。ほんまもんの定義は何か? と問われても、誰にも通用する有効な理屈は持ち合わせていない。
まったく個人的に、自分というものが勝手に感じるのだからいちいち定義する気にもなれないし、他人から見ればそれが単なる幻想に過ぎないものであるのかも知れない。だから、定義すること自体が陳腐だ。
そこを敢えて言うとすれば、肩書きや人気や職域やキャリアや権威等々の飾りモノを取っ払ったうえで、さらにコケにしてこきおろしてなお、俯瞰し、且つ批判的に見ても、どっかぁ〜んと存在する、というものであろうか。
そうした接し方をしてもなお存在するという「ほんまもん」は、やはり極めて希有なのである。
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