コラム

●自己責任野球がID野球を越えた●

 横浜ベイスターズが、その前身の大洋ホエールズ時代以来38年ぶりに日本シリーズを制し、日本一に輝いた。

 常に、限りなくCクラスに近いBクラスが指定席だったチームの偉業は、さまざまな面で「快挙」といえる効果や現象を生んだ。ホクレンが北海道産のお米に「ほしのゆめ」の名を付け、神奈川県経済連がそれを「がんばれ横浜ベイスターズほしのゆめ」の5キロパックにして売ると、またたく間に売り切れたり、地元横浜では、バブル期並み以上の売り上げを記録する小売市場が形成されたりと、その横浜効果は、500億円をゆうに超える経済市場を形成したともいう。

 しかし、本来の快挙は、セコイ観点の経済効果ばかりではなく、ID野球や管理野球という言葉に象徴された、これまでの効率主義に価値観が集約されているすべての世界に「どっこい、そればかりではないぜ!」と具体的な形と結果で提示したことだろう。

 横浜の球団社長は、「うちの会社は漁業。漁業は船で漁に出ますから、船長まかせという体質が本来のところである。それが自然と球団の体質ともなって、監督まかせになっていた。フロントはそれをサポートするのが役目だった」という。また、監督は監督で、船長に例えるならば、無線長は無線長の役割を、甲板員には甲板員の役割を、漁労長には漁労長の役割を、個々に自覚してその腕を発揮していけるように、それぞれの人たちが自分の持っている元々の資質を信じた、というところだ。
 権藤監督はこう言った。「素晴しい資質を持っている選手が、その選手らしく、その選手なりにやればいいのです」「野球場で詰め将棋は見たくないでしょ」と。

 ID野球や管理野球は、時代が生んだガンジガラメの妖怪でもあった。多様な価値観をひとつに集約して、選手の野球哲学まで「ねばならない」の一点に拘束してしまってもいた。「オレの言うことを聞いて、それに従っていれば間違いはない」。それがID野球や管理野球の本質だった。それは一時期、手堅さというものを生んだようにも見えたが、結果として今の野球を小ぶりにし、面白みのないものにしていった。

 そしてその手法は、あらゆる分野にも当てはまり、管理する側に都合のいい枠組みが出来上がり、挙句は、こうした世の中が形成された。そうした価値観は窮屈な時代を形成し、個々の元来持って生まれた個性というものを奪い取り、貧(瀕)すれば鈍する状況に至った。

 そうした時代に、申し子のように生まれた横浜ベイスターズの野球、自己責任野球は、ID野球や管理野球を越えたと同時に、管理する側に都合のいい枠組みというものに疑問符を呈しながら、これからの時代に向かう一人ひとりの今後の姿勢に、大いなる勇気と希望を与えている。そしてまた、自由とエゴの履き違えや個性という記号を用いての画一化の世の中で、自己責任とは一体何であるのかを、堂々と問うている。しかしながら、横浜ベイスターズの野球に限っては、今後もこの快挙が続くという保証はどこにもないのだが。そして、この保証のなさというものが、実は、これまで価値観の殆どを占有していた「ねばならない」の画一化路線に対し、多くの疑問符と問題点を提示してもいる。

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