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牛海綿状脳症(BSE)発生、いわゆる「狂牛病」に伴うアメリカ産牛肉の輸入禁止をめぐり、ドタバタとひと騒動。また、鳥インフルエンザ発生に伴う鶏肉をめぐっても、ドタバタとひと騒動。
「牛丼チェーンがメニューから牛丼を外した」「外食産業が牛肉や鶏肉の輸入禁止でピンチ」「牛肉価格が高騰」等々、日々さまざまな動向がニュース現場を賑わす。ただいつもの事だが、騒ぐだけ騒ぐと何もなかったかのように静まりかえるのが常であるし、しかも、消費者は、ニュースがネタにして騒ぐほど反応しておらず、逆にその騒がしさに対して多少シラけている面もあるのだが。そうした騒動の中で、日本における農産物の自給率は圧倒的に低いのは言うまでもないが、これを機に、日本の食料供給に対して思いをめぐらせ、輸入依存のスタイルを再考するのもいいのではないか、との意見も出るし、外食産業が国内産よりも価格の安い外国産農産物を手当し、消費者により安くおいしい食事を提供しているという企業努力に、これを機に目を向けて感謝の念を表わすのも一考ではないか、との意見もあれば、一国に偏重した輸入姿勢はやはり問題だ、との意見もでる。
どれも、なるほど、なるほど、と思う。だが、条件反射的に「そうだ!」と、言う気にはなれないものだ。
ましてや、メニューから牛丼を外そうが、外食産業が輸入禁止で打撃を被ろうが、牛肉価格が高騰しようが、そんな話にこころの底から興味を向ける気には、どうもなれないのが正直なところだ。なぜなら、牛肉や鶏肉を食べなくても人間のいのちが明日から徐々に狭められ、寿命が一気に短くなる、というわけではないし、年中、肉ばかり食べているわけにもいかないからだ。毎日、霜降り肉ばかり食べていると間違いなく病気になって死ぬし、356日肉食を続けていると、これまた確実に命を縮めることになる。
むしろ、供給量が減るぶん、強制しなくても日本人の胃袋に入る肉類の量が減って、これはめでたいことではないか、と思えてしまうほどだ。別段、ベジタリアンに結びつけようというものではないし、牛肉&鶏肉騒動を皮肉っているわけでもない。ましてや、庶民の味方で「安い」といわれる牛丼チェーンや気軽なファミレスでさえ、今のわが身にとっては高嶺の花で、食べに行くことすらできない侘しさや悔しさから出ているものでもない。
例え食べに行くことすらできない状況であったとしても、この牛肉&鶏肉ドタバタ騒動は、食卓を見つめる好機なのだと思えてくるのである。
ここに興味深い提言がある。
それは、アメリカでの食生活改善運動で指針とされたもので、「マクガバン報告」と呼ばれる。それによると、アメリカが心臓病・高血圧・肥満・精神疾患・アレルギーなどの病気大国になってしまったのは、その原因が、肉食偏重、砂糖の摂取過多の食生活にある、というもので、お手本を日本の古来の食生活に求めよう、と提言したものだ。
言うまでもなく戦後の日本は、アメリカ人のように大きな身体になることが大切とされ、アメリカの食生活や栄養補給を見習うところから出発した。そして、肉・卵・乳製品が普及し、以来、アメリカ並みが目標でもあった。
結果、アメリカ並みになったのは、成人病(生活習慣病)を筆頭にした病気大国で、心臓病・高血圧・肥満・精神疾患・アレルギーなどは、アメリカに勝るとも劣らない状況になってしまった。さて、そのアメリカはというと、逆に日本の食事に指針を求めた。農務省などが具体的に「未精白の穀類と野菜をたくさん食べよう」「砂糖を減らそう」「肉を減らそう」「脂肪 (コレステロール)を減らそう 」などなどを掲げて普及に努めた結果、10年間で全人口に対する心臓病患者の割合は70%から30%へと減少し、肥満は3分の1になった。
そしてアメリカでは今や、肉・卵・乳製品を食べるのが健康作りなのだ、とは誰も言わなくなった。むしろ肥満大国アメリカでは「日本食はヘルシー」と認知されて、年々その人気は上昇中だ。また、アメリカの研究者などは、日本食は日本食でも、今の日本食ではなく、勿論、牛丼や外食レストランなどのメニューでもなく、その理想を古く「平安以降」に求めるくらいである。
「奈良時代」について、これまた興味深い数字がある。それは、現代栄養学でも唱えられている摂取カロリーだ。
当時の貴族の食事は、1日2食を基本にして1245キロカロリーで、一般庶民の食事は407キロカロリーほどであった、というもので、これは、現在の30代の男性に必要だとされている1日2450キロカロリーの約半分〜6分の1だ。
これに興味を示したのはアメリカの研究者だった。「だから栄養失調気味で戦争にも負ける体質になった」と考えた日本人は、アメリカの食事を手本にし、「だから病人大国として蝕まれた」とするアメリカ人は、日本の食事を手本にした。
結果、繰り返すことになるが、アメリカの食事を手本にしたばっかりに、日本は成人病(生活習慣病)を筆頭にした病気大国になった。
その元は、やはり肉食だ。人間の健康な体は、弱アルカリに保たれているが、肉は体内を酸性にし、血液、体液のアルカリ性を低下させ、摂取過多になると、慢性的疲労感をおこし、病気に対する抵抗力を弱め、肝臓、腎臓、血管その他に有害な影響をもたらす。
1955(昭和30)年の日本人の肉の一人あたり年間消費量は2・4kg、1962(昭和37)年で12・8kg、1985(昭和60)年で28kg、現在が40kgとなっている。そして、肉の消費増と共に成人病(生活習慣病)も増加の一途をたどっているのが実情だ。逆に日本の食事を手本にしたおかげてアメリカは、少しは健康に?なった。その元は、未精白の穀類を中心に季節の野菜をしっかり取ることだった。
時代や国の東西を問わず、どうやら人間の身体にとってこれがより自然のようだ。BSEと鶏インフルエンザで肉の供給量が減るのは、もしかして天の助けかも知れない。そして、自分たちの胃袋や食卓を再考してみる時期なのかも知れない。
そろそろ、安全・安心という観点だけにとどまらず、そこからも一歩踏み込み、何をどう食べるのかを考え、自らの食の姿勢を、じっくり見つめてみることが必要になっているのかも知れない。(04・2/10)●食生活をおくるのに認識しておいて損はない話●
バックナンバー秀真伝(ホツマツタエ)にみる食生活の真髄 日本に現存する一番古い書物は『古事記』と一般には言われているが、それよりも古いのが『秀真伝』らしい。そしてそこには、興味深い記述が、次のように残されている。
「宇宙ができるとき<陽>から空・風・火が生じ<陰>から水・埴(粘土の一種)が生じたが、地上の物も、この5元素で構成されている。このうち3元素のものは食べ、2元素・4元素のものは食べない。食べるものとしては田畑の作物が最高で、次はウロコのついた魚だ。鳥は火が強く、命の油が早く燃え尽き、短命となる。肉はもっと悪く、体が縮んで空太りし、毛も枯れ短命となる。もしあやまって食べたら、カブや大根を食べることだ。人の心には日と月の霊気が必要である。鳥や獣の肉には、日と月の霊気が入っていないので、それを食べれば、心が荒れる。五穀は日と月の霊気で育つので、人の心を潤わす栄養となる」
これを受けて「食べ物の中にも<陽>と<陰>があり、ナトリウム元素を多く含むものが<陽=収縮の性質>でカリウム元素を多く含むものが<陰=拡がる性質>で、人間の身体もこのバランスで健康を保っている」と言ったのが、明治時代の医師・石塚左玄である。
現代の食事にこれを置き換えると、動物性のものはナトリウムが多く、植物はカリウムが多いということになり、<陽性>の代表的な食べ物は「卵・肉・魚・味噌・醤油」などで、<陰性>の代表的食べ物は「砂糖・化学調味料・果物・芋類・酒」など。
そこで、この中でも極めて陽性なのが肉で、極めて陰性なのが砂糖。その極陽と極陰の双方を好んで食しているのが、何を隠そう私たち人間だ。砂糖を筆頭に陰性のものを常食していると、体を冷やし、体そのものの機能や血液濃度を緩め、免疫力を低下させ、新陳代謝も不活発にさせる。そして、肉を筆頭に陽性のもを常食していると、交換神経が刺激されて高血圧になり、体のカルシウムが奪われ、動脈硬化を促す。
「肉」という極陽をとると同時に「砂糖」という極陰をとれば、つまり「焼肉やステーキ食い放題」のあとは「ケーキや果物で口直し」が、うまく相殺してバランスが取れる、と考えられそうだが、双方が両極なので、ますます体調が悪くなるのが実情。
「過ぎたるは及ばざるが如し」。両極を摂取するよりも、もともとバランスのとれた中庸な食物を摂取するのが、どうやらいいようだ。その中庸な食物とはちなみに「穀物・根菜・海草」など。
無農薬や有機農産物を買い求めるのもいいが、安全性だけでは体のバランスは取れない。もう一歩、踏み込んで「食べるということ」を考える必要がありそうだ。
●「安全な農産物や食材の確保」という視点の他に、体調保持と「季節と食と身体の関係」を、観点をちょっと変えてみる「食養や薬膳の話」
●「食べる」というコトは本来どういうものなのか、「基本食」を知る。
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