コラム

逆行する政治潮流、軍縮から軍拡?
武器輸出見直し

 1967年に佐藤栄作首相が打ち出した「武器輸出三原則 」。 国連決議による武器禁輸国、紛争当事国やその恐れのある国、 そして共産圏、これらへの輸出を禁止した武器輸出三原則は、三木武夫首相に引き継がれ、1976年には、それ以外の国や地域への輸出も禁止する方針へと大きく進んでいった。
 冷戦の構図も終焉に向かい、平和主義の下で軍縮が本流となった。 しかし、アメリカのブッシュ政権と足並みを合わせる小泉純一郎首相下での政権は、その行き先を大きく方向転換するかのように舵をきり始めた。
 アメリカのミサイル防衛構想追随のみならず、「武器輸出三原則の見直しもあり」だとする荒唐無稽な発想が政権内で濶歩しはじめたのである。

 小泉首相がミサイル防衛構想関連部品の輸出に限っては見直しせざるを得ないとの姿勢を取れば、石破防衛庁長官は兵器の共同開発をアメリカ以外にも広げ、武器輸出三原則の解禁も検討するとの姿勢を取る横暴ぶりだ。
 経済を見れば、政治と軍需産業が一体となって国が潤う仕組は確かにある。軍産複合体の構造は、アメリカを例にあげるまでもなく堂々と存在する。止まることを知らない紛争の多発や軍事力重視の国際政治を前に、完全平和主義は、まだ見ぬ夢であることも確かだ。

 硬直する経済活動に風穴を開ける方法としての兵器産業の充実は、悲しいかな、過去から言われてきたことだ。「勝ち組」「負け組」という現実を前にすれば、「信念」や「理想」は、まだまだ絵に描いた餅にしか過ぎないのだろう。しかし、だから武器輸出三原則の解禁も容認されるという理屈は筋が違っている。

 富国強兵や軍国主義を改めて戦後の日本が築いてきた平和路線。その「国是」を崩すという権利を、国民は、政治や時の政権に与えてはいない。

 石破防衛庁長官の武器輸出三原則解禁の発言は、大げさに言えば、武力行使と新兵器開発を暗黙のうちに認めるばかりでなく、死の商人の路線を選択することにもつながりかねない甚だ許し難い暴言でもある。

 日米同盟を理由にテンションをあげる小泉首相のワンパターンな姿も、ぼちぼち色あせてきた頃ではあるが、理念なき発想やこうした発言をも包容し、いましばらくは見守らなければならない立場にいるわれわれ国民は、つらいところである。
 その国民のやさしい思いを無視して、政権の独断でやってしまおうとする愚かな流れが、誰の目からしてもハッキリ見抜けた時は、ひるまずにわたしたち国民は、彼らを政治の場から引きずりおろすのだろうが、詭弁やレトリックを前に、まだまだ見抜く眼力が、われわれの側に不足しているようでもある。
 憲法改定の動き、そして、先に改定ありきの如き国民投票制度の唐突な議論なども準備されはじめた。

 自分のことで精一杯というせちがらい状況で、無関心を決め込む人が増加する傾向にあるが、ここはじっくりと構えて熟慮し、見抜きたいものだ。(04・1/16)

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