コラム |
さらばワープロ
文書を作成するのに重宝したワープロ。
東芝ルポや富士通オアシスやキャノンキャノワードやNEC文豪などは、日本語ワープロとしてかなりの貢献度だった。
どれも殆ど互換性は無かったが、MS−DOSにフォーマットし直すと、どのワープロで作成した文書もフロッピーでのやりとりは可能で、文章を書いたり加工したりを仕事にする者にとっては、特に無くてはならないものだった。日本語ワープロは80年代に普及が始まり、89年のピーク時には出荷台数が約271万台に達したといわれる。その普及に準じて原稿用紙の使用頻度は減少していき、文章を直接手書きしない分、漢字というものを忘れていくという弊害を生んだものの、ソロバンが電卓に取って代わって、暗算が苦手になったのと同じように、その弊害は、さほど深刻なものではなかった。
MS−DOSにフォーマットし直した2DDのフロッピーが原稿のやり取りの主流になり、赤字校正作業の時間も随分と短縮された。
誤字脱字の校正が、手書きの時と違って、ワープロならではの誤字脱字に変わり、校正の感覚もそれに準じて変化していったが、これとてさほど厄介な問題ではなく、総じてワープロは、重宝ものだった。本をつくるのも、これまでの原稿用紙〜写植〜版下〜製版〜印刷という流れから、ワープロからのMS−DOSフロッピーをマッキントッシュで開き、クオークエックスプレスという編集ソフトで編集作業をする流れが出来ていった。
しかし、その重宝ものも、周知の通りこの1〜2年間での安価なパソコンの普及で、その座をすっかり奪われ、あっという間に埃にまみれて部屋の片隅に眠る代物に変わりはてた。
製造メーカー各社も、使い勝手は決していいとは言えないもののウインドウズというOSを組み込んだ普及用パソコンの開発や市場拡大に躍起で、新たなワープロ開発を手がけるメーカーは皆無となった。
既に東芝は2000年に生産中止を決定し、NECやキヤノンや富士通も日本語ワープロから撤退する意思を固めるといった状況で、マッキントッシュの出現およびウインドウズOSの普及を前にして、ワープロが市場から消える日も遠くはないというのが現実だ。2000年末の大掃除の時、仕事場に埋もれていた大量のMS−DOSにフォーマットし直した2DDのフロッピーが処分された。
今では3・5インチの2DDや2HDのフロッピーさえ使う者はおらず、原稿のやり取りは電子メールやMOなどのディスクに変わり、あれだけ重宝した日本語ワープロやフロッピーの出番は皆無となった。
机の上に鎮座ましていたワープロは、ノートブック型パソコンにその座を奪われて殆どゴミと化してしまったものの、今も1台だけは廃棄されずに仕事場の片隅にひっそりと残っている。
その名は「東芝ルポ」。いつ購入したものかは今となっては定かではないが、価格は今の普及型パソコンとほぼ同等のように記憶している。しかし機能は、文書を作成する以外にはなにもない。それでも当時は画期的な代物だった。
処分を迎えた日には、針供養でもするかのように「さらばワープロ」と厳かに葬り去りたい。(1/13)
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