再生医療に朗報? 進むヒトiPS細胞の開発+研究。
成人の皮膚などの体細胞から複数の遺伝子を組り込んで、ES細胞と同様な分化機能を持つヒトiPS細胞=人工多能性幹細胞=を作る。
そんな技術が、米国・ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授や京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授らによって開発されたのは2007年末のことだった。
1998年末、トムソン教授らによって人間のES細胞(胚幹細胞)を取り出すことに成功したヒトES細胞を用いた再生医療の研究では、受精卵を破壊すること等への倫理問題がネックになっていたが、ヒトiPS細胞によって倫理的問題の少ない再生医療の実現が期待されてきた。
初期のヒトiPS細胞は、ウイルスを使って4種類の遺伝子を体細胞に入れて作られたが、ウイルスの副作用や、組み込まれた4遺伝子が予期せぬ異常を起こす危険性があり、再生医療への導入が疑問視されていた。
しかしこのほど、山中教授と肩を並べるiPS細胞の第一人者、トムソン教授らは、遺伝子の運び役のウイルスを使わずにiPS細胞を作成し、さらに外部から人工的に入れた遺伝子も完全に消失させることに世界で初めて成功した。
今回は染色体の外に存在して、ほとんど影響を与えない小さな遺伝子「プラスミド」を運び役に採用した。そして、山中教授の4遺伝子に加え、トムソン教授独自の2遺伝子と新たな1遺伝子の計7遺伝子を、新生児の皮膚細胞に入れて作ったという。
そのiPS細胞には、プラスミドが次第に減少していくものがあり、さらにそれを分離すると、プラスミドや導入した7遺伝子の全部が完全に消失したことが確認できた。組み込む遺伝子を増やすことや、染色体に取り込まれにくい性質の小さな遺伝子「プラスミド」を使うなどの創意工夫で、外来遺伝子の完全除去に成功したというわけだ。
現在、ヒトiPS細胞を利用した再生医療として期待が寄せられているのは、パーキンソン病や糖尿病の治療などで、パーキンソン病は脳の神経伝達物質であるドーパミンの分泌が不足することによって運動障害などを引き起こし、糖尿病は血液中の糖の量を少なくする機能を持っている物質インシュリンの分泌が低下して起きる、といわれている。
それらの分泌機能をiPS細胞を移植することで再生させようというのが、ヒトiPS細胞に寄せられる手始めの熱き期待である。
その期待を背に、理化学研究所と京都大学再生医科学研究所は3月25日から、茨城県つくば市にある理研バイオリソースセンターで培養したヒトiPS細胞を、非営利の学術研究機関を対象に実費(1アンプル当たり2万8000円)で提供を開始した。
提供するiPS細胞は、トムソン教授らが今回、成功させたものではなく、山中教授らが当初開発したヒト皮膚細胞に4遺伝子をレトロウイルスで導入する方法で作ったものと、発がんリスクのある遺伝子を除いた3遺伝子で作ったもので、言わば初歩的なヒトiPS細胞だ。これを用いて、新薬候補の化合物の効き目や副作用を調べたり、再生医療への応用を目指す研究をより積極的に促す方針だ。
どうなる再生医療。まだまだ多くの越えねばならないハードルがある中で、iPS細胞は救いの女神となり得るのか?
【関連記事】
●京都大の大学院生が、iPS細胞などを解説する『幹細胞ハンドブック−からだの再生を担う細胞たち』を企画編集し、4月1日から京大iPS細胞研究センターが発行・配付を開始した。
「からだの再生」「幹細胞とは」「幹細胞の可能性」「研究と社会のつながり」の4章・全12ページ仕立てで、ES細胞とiPS細胞の違いや幹細胞研究の可能性と課題を図解入りで解説している。
●京都大は4月8日、iPS細胞の作製法に関する国内特許を、バイオ企業のリプロセル(東京都港区)とタカラバイオ(大津市)の2社が使用するのを認めるライセンス契約を結んだと発表した。京都大がiPS細胞の特許使用契約を行なうは初めて。民間企業と設立した知的財産管理会社を通じて締結した。京都大は2社から受け取る特許使用料をiPS細胞関連の研究開発資金に活用する。
リプロセルは京大や東京大の研究者らが設立。ライセンスを活用してヒトiPS細胞から心筋細胞をつくって販売し、新薬開発などに役立てる。
タカラバイオは宝ホールディングス(京都市)の子会社。ライセンスを活用してiPS細胞の作製試薬の販売や遺伝子治療の委託研究を行なう。
●京都大は4月14日、米ベンチャー企業「iZumi・Bio」(アイズミバイオ社)との間でiPS基礎研究の協力提携(期間は1年)を結ぶことに合意したと発表した。
アイズミバイオ社はドイツの製薬企業バイエル社からiPS細胞の特許に関する権利譲渡を受けている。今回、同社と協力提携が結ばれたことにより、iPS細胞の技術開発が加速することが期待される。
今後は双方で、異なる手法で作製したヒトiPS細胞を互いに交換して比較分析し、情報を共有しながら、医療応用のための品質確保や標準化に努める。
●政府の総合科学技術会議(議長・麻生首相)は4月21日、難病の再生医療につながる基礎研究に於いて、ES細胞(胚性幹細胞)を採る場合に限り、ヒトクローン胚の作製と利用を認める指針改正案を了承した。これまでヒトクローン胚の作製は、クローン人間づくりにつながるとして禁じてきたが、パーキンソン病など治療法が確立していない病気の基礎研究に使用を限定して認める。文科省は1カ月後をめどに指針を改正する。京都大の山中教授らがヒト皮膚細胞からiPS細胞を作ることに成功したため、ヒトクローン胚からES細胞を作成することへの関心が薄れている。このため今後、作成計画の申請があるかは不明。クローン人間の作成は2001年施行のクローン技術規制法で引き続き禁止される。
●米スクリプス研究所やドイツ・マックスプランク研究所などの研究チームは、たんぱく質を導入してiPS細胞を作ったことを4月24日、米科学誌セル・ステムセル電子版で発表した。
従来は遺伝子(DNA)の形やウイルス等を導入するが、再生医療への応用では、発がんリスク等が懸念されている。このため、がんの遺伝子治療の安全性を高める方法として、熊本大大学院医学薬学研究部の富沢一仁教授がたんぱく質の導入を開発して発表していた技術を今回、米独チームが応用してiPS細胞を作成した。富沢教授の技術は、たんぱく質はそのままでは細胞内に入らないため、アルギニン(アミノ酸)が11個つながった「ポリアルギニン」を接続し、細胞膜を通過できるようにするというもの。この技術利用で米独チームはマウス胎児細胞に4種類のiPS細胞を作った。このiPS細胞が肝臓や心筋、神経の細胞などに分化することも確認した。この方法は再生医療への応用に向け、安全性と実用性が高いという。
●新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO・経済産業省所管)は5月18日、iPS細胞の産業応用を産学官連携で進める目的で、東京医科歯科大学や武田薬品工業などと新組織を結成したと発表した。5年以内に臨床試験前の段階で医薬品の副作用を予測する手法の開発を目指し、新薬開発に活用していく。
●ニプロは6月から、ヒトiPS細胞からつくった心筋細胞を大学など研究機関や製薬メーカー向けに販売を始めた。京大や東京大の研究者らが設立したリプロセルが作成し、ニプロが細胞の塊5個と培養液のセットなど4製品を販売する。新薬開発に不可欠な副作用の試験に用いる。ヒトiPS細胞由来の細胞の販売は世界初で、新薬開発の初期段階で今回発売の心筋細胞を使えば、心臓や心筋への毒性や効果などを臨床試験の前に見極めることができ、開発コストや期間を短縮できるという。
●京都大は5年後を目標にiPSバンクを作る構想を表明した。京都大の山中伸弥教授が6月4日、東京都内での講演で語ったもので、自身がセンター長を務める京都大iPS細胞研究センターに設置し、さまざまな細胞に分化できる人工多能性幹細胞(iPS細胞)を蓄積する。2年以内に材料として最適な体細胞を選択し、最も安全性の高い作成方法などを見極め、その後3年程度でiPS細胞作成を進める。具体的には、ボランティアから体細胞提供を受け、50種類のiPS細胞株をそろえて、完成したiPS細胞の全ゲノム(遺伝子配列)を調べて品質管理する。山中教授によれば、特別な白血球の型(HLA)を持つ50人の細胞からiPS細胞を作れば、50種類の細胞株だけで、約9割の日本人について、免疫拒絶反応を受けずに、細胞の移植が可能になるという。同教授は「迅速な臨床研究につなげるため、高い品質管理をしたバンクを作るべき段階が来たと判断した」と抱負を語った。
●岐阜大にiPS細胞の研究施設が完成した。京都大と連携してがん化の仕組みを解明するなど安全性の高いiPS細胞づくりを目指す。運用は、細胞膜に関する「糖鎖」研究の先駆者である岐阜大・木曽真教授のチームが中心となって医学部再生医科学の研究者らと協同で行なう。iPS細胞のほかに、5〜100ナノメートルの「メゾスケール」で細胞膜の分子の動きも研究する。
【iPS細胞関連の記事リンク】
■iPS細胞研究の倫理的問題について(児玉聡・伊吹友秀/東大生命医療倫理人材養成ユニット)
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