解 説 |
確実に見直しの時期を迎えた原発推進政策
(2004・2/9)原発予定地でわき起こる立地をめぐっての「原発騒動」。それは、北は北海道から西は九州に至るまで、海に面する辺境ともいえる過疎地で30年以上も前から繰り広げられてきた。立地か否か。その賛否をめぐる地域での分裂は、そこに暮らす住民同士の間に想像を絶するほどの深い溝と傷を残してきた。
真っ二つに分裂する推進側も反対側も、双方に同じ思いがある。賛成と反対に分かれても、変らぬ思いがある。それは、ただひとつ、「自分たちの暮らす地域をよりよくしたい」の思いである。
違うのは、方法論。地域をよりよくしたいから原発を、という考えと、地域をよりよくしたいから原発はいらない、という考えだ。地域に暮らす人たちは誰も、自分たちの暮らす地域がより悪くなるように望みはしない。そんな人たちが、地域の中で賛否に分かれて険悪な仲になる。それも、1カ月程度の時間なら、いや、長くて5年くらいの年月なら、双方、我慢ができる。しかし、この「原発騒動」というやつは、そうはいかないものだ。一旦計画が持ち上がると、10年、20年、30年と続く。そうなれば、双方はズタズタになることはあっても、ニコニコと穏やかにおれるものではない。推進側も反対側も憔悴しきるのが実情だ。
九州・四国地方でも中国・山陰地方でも北陸・上越地方でも紀伊・東海地方でも東北・北海道地方でも、これらの事態に巻き込まれ、深い溝と傷を残すという体験をした地域や人たちは多い。
そんな中、71年に計画発表された原発が30年以上も騒動を巻き起こした挙句に「電力需要はそれほど伸びず、供給力の確保を急ぐ状況にない。将来のために計画を残す選択肢もあるが、現実的でない」との判断で、白紙撤回された。東北電力が2003年12月24日、新潟県巻町に計画していた巻原発建設について断念することを決定したのである。
71年に計画発表された巻原発は81年に「地元の合意が得られた」として政府の「電源開発調整審議会」(電調審)に上程され、着工に向けたゴーサインが出された。しかし、96年8月、原発建設の賛否を問う全国初の住民投票が実施され、町民の6割が「建設反対」の意思を表示。建設計画拒否の姿勢を鮮明に打ち出す住民の前に原発建設計画は宙に浮いた。さらに、原発予定地内の町有地を町が反対派住民らに売却したのは違法とした推進派による訴訟でも、最高裁が上告を受理しない決定をして建設反対派の勝訴が確定するなど、巻原発の建設は物理的にも不可能となっていった。そして、最終決着に向けて新潟県知事や巻町長も電力側に対して計画撤回を求め、東北電力も電力の需給面でも原発の建設は必要ないとの考えを示すなど、計画断念の動きが加速していった。また、それより前の2003年11月27日、石川県珠洲市に共同で建設する計画を進めていた関西電力、中部電力、北陸電力は、珠洲原発計画を断念することを決めた。1975年に構想が持ち上がった珠洲原発は、反対派住民の反発などで立地可能性調査が89年に中断したままになっていた。市長選や県議選では原発推進派が勝利し、電力業界も原発推進の旗を大きく掲げていたが、ここ数年の産業構造の変化や景気低迷で、足元の電力需要も停滞、その一方で、電力自由化に伴う新規参入者との競争が加速するなど、長期的にも見通しは厳しい状況を迎えていた。
それ以前の原発計画の中止では、2000年に中部電力が三重県の芦浜原発の建設計画を白紙撤回した例や、1990年代に四国電力が高知県の窪川原発計画を凍結した例などがあるが、すべての地域で言えることは、一旦計画が持ち上がると、10年、20年、30年と続く「原発騒動」というやつは、地域活性化どころか、推進側も反対側も、双方はズタズタになることはあっても、ニコニコと穏やかにおれるものではく憔悴しきるのが実情だ、ということだ。
それは、安全性や地域経済などのメリット・デメリット、あるいは事故隠しに象徴される信頼感の喪失等々を云々する以前の、地域そのものの平穏さをぶち壊す汚染を、なりふりかまわずにやってしまうという問題で、もちあがる原発計画そのものが地域では、放射能汚染に匹敵する程の大きな弊害であり続けてきた、ということである。
電力自由化を乗り切るため経費削減が待ったなしとなる中で、時間とコスト、そして精神的ストレスのかかる原発建設計画が、ずっしりと重荷になる電力会社側とすれば「展望のない建設計画はこれ以上、難しい」というのが本音のところだ。
地域が拒み、電力側がギブアップする中で、固執し続けるのは政府だけという見方もある。原発建設計画のみならず、1995年のナトリウム漏れ事故以来、運転を停止し、維持管理に約2000億円を費やしている「もんじゅ」に象徴されるように、破綻している核燃料サイクルを前にしても、握りしめた高速増殖炉開発を手放さないというのが政府の今の姿勢だ。
2003年1月には、名古屋高裁金沢支部が、国の安全審査について「看過しがたい過誤、欠落」があると指摘、「全面的なやり直しが必要」と断定し、「国の原子炉設置許可は無効」とする判決を出しているにもかかわらず、血相を変えて最高裁に上告するばかりか、原子力安全委員会が「もんじゅ」の改造工事の詳細設計について「改造工事を実施すれば、ナトリウム漏れによる大事故は防げる」とする見解をまとめたのを受けて、すぐさま経済産業省原子力安全・保安院が、改造工事の詳細設計を認可するという具合だ。
高速増殖炉は商業用原発に比べて危険度が高く、経済的メリットもないことから、原発先進国のアメリカ、フランス、イギリスでさえ開発を断念しているのが実情であるにもかかわらずにである。
それを見ても、政府の固執度は推し量れるというものだ。しかし、政府を悪者に仕立てたところで何も解決はしないし、これからの展望さえ見えては来ないのが実際のところだ。悪意なく、日本をよりよくしたい、という一念で本来、政府は、さまざまな計画を立てているに違いないからである。
にもかかわらず、歪んだ現象がおきるのはなぜなのか。そして対立するのはなぜなのか。民主主義の国であるのにもかかわらず、時には対話も意見交換も成立せず、あたかも社会主義国であるかのような錯覚さえ覚え、権力の構図が浮き上がるのはなぜなのか。
現地の地域が、最も傷ついたぶんだけ、まず地域住民がいち早く気付く対立の構図と、その空しさ。そして、次に、ずっしりと重荷になった電力会社側が、嫌というほど味わう後味の悪さ。現場に近ければ近いほど傷つき、ズタズタになる図式。それを案外、政府は実感として知り得ていないのかも知れない。
最も現場から遠いのが政府および関係機関という距離感の中で、見直しが迫られる原発推進を柱とする国のエネルギー政策は、これからの時代の中で、現地の真の喜怒哀楽や痛みを知ったうえで、その是非を真摯なスタンスで正直に問うという視点も必要な時期になっている。(04・2/9)
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【2011年】
大地震や大津波で危機的状況に陥った福島第1原発の惨事を受けて各国では、原発見直しに転換する気運が再び出てきた。ドイツ、スイス、アメリカのみならず、今後のエネルギーを原発に求めようとしている途上国に於ても、方針の転換を迫られる可能性が濃厚になってきた。一方この惨劇に見舞われて「クリーンなエネルギー」や「安全神話」の化けの皮が剥がれた国内では、山口県熊毛郡上関町で進めている上関原発建設に関して中国電力が2011年3月15日に「作業中断」を正式表明するなど、ゴリ押しで進めようとする動きに、やっとストップがかかりつつある模様だ。
東京電力も青森県東通村の東通原発1号機の建設を中断した。また、電源開発は、青森県大間町に建設の大間原発の建設を「当面中止」した。電力会社などが出資する青森県むつ市のリサイクル燃料貯蔵・使用済み核燃料中間貯蔵施設の建設も当面中止する。中部電力は静岡県御前崎市の浜岡原発6号機の建設計画を延期すると共にウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を使用したプルサーマル発電も「当面中止」した。Copyright 2004 Local Communica't Co.,Ltd