経済低成長期の農政 国際化を迷走-1980年代の頃


不毛だった農業政策/農政&関係省庁の無能さが鮮明になる時代の中で

 ニクソン・ショックによるドルの切り下げや中東戦争に端を発する石油ショックによるインフレ、イタイイタイ病や水俣病や四日市ぜんそくなどの公害問題と、70年代からは、必然的に経済成長最優先の矛盾と不均衡が噴出。邁進する高度経済成長路線上で、それを妨げる条件が次々と発生していく。しかし、日本経済は低成長ながらもかろうじてマイナスを回避し、成長率5〜6%で推移、1985年のプラザ合意の時を迎える。

 日本は円高、低金利、原油安のトリプルメリットを享受すると、停滞気味の経済は、ウサを晴らすように暴走を開始。株価上昇と地価上昇が「バブル経済」を生み、1990年には「あがり食い」後のような「崩壊」に到達する。つまり日本経済は、戦後の混乱期から復興期、発展期、安定期を経て、限界点に達する。

挫折した農業政策/農政が描いたこれからの農業の中身

 日本の農政の方向はその間、『80年代の農政の基本方針』から『新しい食料・農業・農村のあり方』に移行し、『新たな国際環境に対応した農政の展開方向』へと流れていく。

 農政が意図した「農業経営だけでやっていける農家の育成」とそれに伴なった「規模拡大」は、農家が自助努力によって成立させた「オール兼業化」という現実の前にあえなく挫折。

 すると今度は、1980(昭和55)年の『80年代の農政の基本方針』で、「16歳以上60歳未満の男子で、年間自家農業従事日数が160日以上の者のいる農家」を「中核農家」とにわかに命名、中核農家の概念を「市場メカニズムを重視して、市場競争に耐えられるよう、高い生産性と農業所得を実現できる農業経営体」と表現して、「中核農家の規模拡大を地域ぐるみで推進し、兼業農家も成立するように図る」という方針を打ち出していく。

 それをありていに表現すれば、「農業政策としては、自立経営農家の育成を図ったが実現できずに、実態としては日本の農業はオール兼業化の状態になってしまった。だからこれからは、兼業の中でも、農業収入に比較的重点を置いて暮らしている農家を、農業政策上で取り込んで、農政の悲願でもある規模拡大に誘導したい」というところだ。

 そして、この中核農家への施策の集中を図って農地の流動化を促し、規模拡大へとつなげていこうとした。

 しかし現実には「農業収入に重点を置いて暮らしている農家(いわゆる第一種兼業農家)」よりも「農業以外で主な収入を得て、自給的な農業をやる農家(いわゆる第二種兼業農家)」の方が多く、規模拡大への誘導がなかなか進まない。

 むしろ農地は、地価上昇によって農地そのものが資産化していく傾向にあり、不動産取引の対象物件として貴重にはなるものの、農地としてはさっぱり流動化しないという現実だけが存在していった。

 そして、農政が描くところの「農業の自立」は、一向にその姿すら見えて来ず、農家自らが成立させる「専業や兼業にかかわらず農業を持続させていく」という実質的な姿だけが鮮明になっていくのだった。

実績なき農業政策の中で/農政が描く2000年に向けての農業の姿

 一方、国際社会では対日貿易収支の不均衡の解消を農産物の市場拡大に求める動きが活発化し、牛肉・オレンジの自由化交渉妥結とガットのウルグアイ・ラウンド交渉での米市場の開放要求にまで至っていた。

 そこで1992年に『新しい食料・農業・農村のあり方』いわゆる「新農政」を発表。農政としては国際化と競争化に向けての「農業経営」としての「規模拡大」の成立にあくまでもこだわり、「農業を魅力ある職業とするため、他産業並の労働時間で、生涯所得が他産業従事者と遜色のない基準(1800〜2000時間労働で生涯所得2〜2・5億円程度)とする」ことを目標とする。

 そして、農業形態を「個別経営体」「組織経営体」「個別経営体以外の販売農家」「自給的農家」にわざわざ分類し、「個別経営体」と「組織経営体」が、日本の農業を担っていくとした。

 ここでは2000(平成12)年の農業の姿を、農家250〜300万戸の内「個別経営体」および「組織経営体」を総数35〜40万戸と想定。その内「稲作単一経営で10〜20ha規模」「稲作と集約作物の複合経営で5〜10ha規模」の2パターンで15万戸、「組織経営体」を、農業生産法人や生産組織などで受託耕作を含めて法人化した農業経営をやる集団として2万戸とし、これらを中心に、農地制度や土地改良制度を見直し、農地の集積を図って、あくまでも机上の計算での規模拡大の方針をとり続ける。

 これを現実の世界で、現状のままの表現に言い換えれば「農家戸数約300万戸のうち規模拡大できる農家は約40万戸程度だから、農政としては2000年に向けて、あくまでもこの農業経営体中心の施策でやっていく」というところだ。

 そして農政は、その方針の曖昧さを、日本の農家総数の85%が占める「兼業農家」にホローしてもらい、独自の努力で農業経営にこだわって努力をする「篤農家」に穴を埋めてもらい、失政については全農家に尻拭いをしてもらいながら、農業の本質や現実、そして農業現場の実態とは大きく遊離したところで存在していくのだった。

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1996年小社刊行の『農の方位を探る』から抜粋/転載厳禁
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