◆事務局コラム◆

タイトルと本文

タイトル目次


2008年

野良の日常【其の一/農耕な話】

 長年放置されて耕作放棄地となった農地。その開墾を始めたのは2004年6月からだった。セイタカアワダチソウとカヤの群生が荒れ地を象徴していた。

 蒼水と七水は農家ではない(正確に言えば七水が生まれた実家は専業農家だが本人は農業者ではない)。だから農機具を持たない。よって原始的ともいえる方法、カマで雑草を刈り取り、クワで荒れ地をおこすことから開始した。広さは約三反弱、坪数にすると約千坪というところだろうか。
 元々は水田だったその荒れ地は、雑草を刈り取るごとに元の面影がうっすらとその姿を現わしてくる。どうやらこの放棄地は過去、ゆるやかな5段の棚田だったようだ。

 自宅から車で片道40分強かかる農地通いは、周囲の人がいう「燃料費や労力などを考えるとスーパーで野菜を買ったほうがマシ」の言葉通り、割りに合う合わない、という領域で考えると「スーパーで野菜を買ったほうがよっぽどマシ」だ。
 開墾したからといって、直ぐに作物ができるものでもない。それ以前に、作物をつくるには畑づくりをしなければならない。畑づくりをするには土づくりをしなければならない。それよりも、まずは雑草刈りを経てクワとスコップでの開墾である。道は遠い。

 下着まで汗で水びたしになるほどの暑さとの闘いを経て2004年8月、まずは蕎麦用の畑が完成だ。種をまき、芽がでて、花も咲いた。しかし、台風で蕎麦は全滅した。種まきの時期も少し早すぎたようだ。ハトが蕎麦の種や芽を食べるという説の正しさも知った。七羽程度のハトが目敏く見つけて種や芽を結構、器用につまみ喰いしていた。最初の農耕は失敗から始まった。勿論、野菜類はちょこちょことつくり、さつまいもなども一応はできた。
 
 2004年11月末、次は小麦への挑戦だ。小麦(品種:南部小麦)の種をまき、芽がでて、冬の麦踏みもやり、春の茎立ちを経て、黄金色に稔った。麦秋(ばくしゅう)の実感である。
 刈り取り、天日に干し、原始的方法での脱穀も成功し、製粉所に持ち込んで小麦粉50Kgが完成した。完璧無農薬無化学肥料の日本で唯一の完璧小麦粉と言っても決して過言ではない蒼水・七水自家製プレミアム小麦粉である。
 うどんを打ち、パンをつくり、知人らにも配り、あっという間に消費した。

 気をよくした蒼水と七水は毎年、小麦をつくる決心を固めたのだが、翌年は長雨でトホホの大失敗。その年の種まきは、国文祭・連句大会の後処理に追われて手つかず、翌年も日程的に多忙が重なって出来ず、以後の小麦栽培は手つかず状態のままだ。
 蕎麦は、失敗した翌年は大成功だったが、蕎麦打ちを実行する回数がめっきり減り、蕎麦粉が過剰在庫のまま冷蔵庫に眠るという状態に陥った。よって以後の蕎麦栽培も手つかず状態のままだ。

 根性なしは、カマとクワだけの農耕には無理があることも実感したので、草刈機を買った。そして、誰かれなく「使わなくなったミニ耕運機があれば譲って欲しい」と言っていたところ、「うちに一台ある」と無償提供を申し出てくださる人が現われた。その善意に支えられ、わが農地の畑づくりは、2007年以降、順調に進むことになるのである。

 HONDA製のミニ耕運機はいま、わが農地でフル稼働し、どこに出荷するでもない遊びの農耕は、お百姓さんからみるとヒンシュクものではあるが、チンタラ楽しく続いている。

2008年5月 記


野良の日常【其の二/農耕な話】

 農地では毎年5月から雑草との格闘が本格的に始まる。2008年で開墾から4年をむかえ、雑草の嘱性も柔らかく変わってきた。しかし、一週間もすればあっという間に畑を被い尽くす。とても元気だ。
 野菜類が雑草の如く元気であればこのうえないが、放置しておくとすぐに元気がなくなる。作物はデリケートな心の持ち主のようだ。育てる者が声をかけると機嫌がよくなる傾向にあることを4年間を通して実感した。

 雑草と格闘しながら、畝づくりや植え付けを始めると、鈍った身体が筋肉痛を起こす。三、四日続けると身体もほぐれてくるが、三日目が最もダレる。三日坊主になりやすいのがよく分かるというものだ。

 毎年のことだが、定番夏野菜をチンタラ植え付け、玉葱畑やじゃがいも畑に生えた雑草をとり、イチゴをつまみ喰いしながら「今年は何を新しく植えてみるかなぁ」などと口ばしる。
 一応、夏野菜の苗を植え終えると余裕がうまれる。ホームセンターなどに用意されている様々な苗を見る時も、眺める、というゆとりが生まれる。植える前だとこうはいかない。アレもコレもと、苗を見る度に、準備して作った畝の数が気にかかる。植え終えて、畝にゆとりがある場合は余裕のよっちゃんになる。

 植えることばかりに気をとられると、肝心の土づくりがおろそかになる。しかし、植え時もあるので畝づくりを急ぐ。結果、出来映えとして貧相な野菜が多くなる。要は、下手っぴということだ。

 元来、理屈はこねる。口だけ農民を自認しているほどだから、農業論を語らせればとどまるところを知らない。でも、農作物づくりは下手っぴだ。しかし、完璧無農薬無化学肥料+無畜産肥料の自然派農法での根性は座っている。出来たものの生命力は強い。見栄えはよくないが味はいい。虫喰いだらけになることも多いが、4年目なのでまずまずだと思うようにしている。

 余裕のよっちゃんは、6月になると少しあわて始める。梅雨空を睨んでの短期決戦でのサツマイモの畝づくり〜苗植え、玉葱やじゃがいもの収穫と、体力の消耗が増す。収穫を終えた頃には足腰や呼吸はヘロヘロで、豊作ではあるが息もあがる。

 それを今度は、玉葱も交え、程よいダンボールに詰めて、じゃがいも大好き人間たちに向けて宅急便に託す日々が開始される。私たちの完璧無農薬&無化学肥料&有畜産堆肥未使用栽培での玉葱やじゃがいもは結構、好評だ。なぜなら、送られた側とすれば、よほどのコトでない限り「うまくない」「マズイ!」とは口がさけても言えないものだ。概ね「ありがとう、うまい」と感想を述べる以外にはないので、毎年好評が続く。
 勿論、送ったのに感想ひとつよこさない人や着いたとも受け取ったとも言ってこない人に対しては、送られても「うれしくない」か「いらない」かのどちらかだろうと当方が勝手に判断し、次年度からは送るのをやめている。それでも毎年のコトだが、あの人この人とドカドカ荷造りをすると、結局は新たな人たちに向けてのじゃがいもがまるっきり不足する。

 「あれレェ〜、結構あると思ってたのに、もうこれだけしかないの〜」毎年同じ言葉を発することになる。それは今年も同様だった。そして「来年は植える量をもっと増やさないとね〜」毎年同じ言葉を発することになる。それは今年も同様だった。だが、おそらく来年も、そのことはすっかり忘れて、また同じ言葉を発することになるに違いない。
 なぜなら、植える時にも「種芋は150〜200個で十分だよな」と、毎年同じ言葉を発して「十分過ぎる、多過ぎる」と毎年同じ判断をしているからだ。

 収穫が終った畝は、日に日に雑草が目立つようになる。それと同時に夏野菜を植えた畝も草が元気一杯に伸び始める。

2008年6月 記


野良の日常【其の三/農耕な話】

 草との格闘がメインになるのが夏の畑だが、トマトやキュウリやナスやピーマンやニガウリやズッキーニなどが収穫が可能になる頃には、すっかり草に軍配があがっている。その畑は、農地というよりは「緑の草原」状態だ。

 近年、里山が荒れているのでイノシシなどの農地への出現も年々早まり、もう被害が出始めている。わが農地とて例外ではなく、収穫前のカボチャすべてはきれいにイノシシの餌食になった。周囲の農家は嘆きの声をあげるが、あまり気にはならない。多分、次はせっかく植えたサツマイモがイノシシの餌食になるのだろうが、それも仕方ないことだ。なぜなら、これは現代に生きる人間すべてが選択した不真面目な道なのだから。

 里山を荒したのは不真面目な私たちなのだから、イノシシやタヌキやクマやサルが人里までおりてきても文句を言える筋合いではないのである。まぁいいじゃないか、新たな考えで共生を模索するのも悪くはない。

 7月の畑は、草刈機をフル稼働させても3日で「緑の草原」に戻る。草ほど元気ではないにせよ、夏野菜も自分たちだけでは食べきれないほど、よく出来るようになる。トマトも収穫の喜びが半減するくらいに鈴なり状態が続く。よって収穫過剰なそれらはご近所さんへと押し付けることになる。

 もらう側からすれば、最初の頃は嬉しいものの、食卓の常備品となる頃にはすっかり感激度も薄れている。キュウリやナスは漬物になり、完熟トマトは夏味メインのパスタ用トマトソースとして大活用できるが、毎日つくるわけにはいかない。それとて過剰傾向なのが夏だ。

 気温が上昇し、暑さが連日うなぎのぼりともなると、畑に行くのも嫌になるのかと思いきや、そうでもない。それが農耕の魅力だ。
 アッチッチアッチッチの昼日中に大汗タラタラで農作業をするのは結構、SM疑似体験的で面白い。とにかくヘロヘロになる。このヘロヘロが面白い。周囲を見渡すと、熱中症になるのがオチのようなクソ暑い時間帯に畑に出ている姿は見かけない。だからこそ変態っぽくって面白い。

 しかし、毎日だと健康を損なうので、7月はやはり、夕方の農地でチンタラ気分、というのが適している。それも三日に一度程度の農地通いが程良いようだ。早朝も健康的でいいが、それはあまりにも真面目な姿なので興ざめするし、朝は分刻みで気温が上昇してくるので、不真面目農耕には夕刻がいい。

2008年7月 記

 立秋やお盆を過ぎても8月中はまだまだ実際には真夏だ。小さい秋などの情緒風情を感じるよりもことのほか蒸暑い。その猛暑は畑の草たちにとっても厳しく、暑さバテ傾向のようにも見受けられる。だが、少しでも空からのお湿りがあると、直ぐに元気を取り戻して夏草は勢いを増す。草が暑さバテ傾向に陥っている時が刈り時でもある。草刈はせねばならない。しかし、人間さまのほうが暑さですっかりバテてしまっている。猛暑が続くと草刈をする気分にはなれない。

 「暑い時に面倒かけますが、山地の草刈を今年もお願いします」。森林組合から電話だ。オヨヨオヨヨ、そうだった、そうだった、山地の草刈もあったっけ。農地だけではなく、畑の裏山のほんの一角に極めて狭い山地ならびに高さ約30メートル幅約80メートル程度の鋭角なノリ面があるので、下草や枝刈りをすることになっている。

 近年、里山が荒れていることから「山地の管理協力を」と森林組合から要請されて組合員にもなった。2005年には桜(そめいよしの)の苗木をその場所に60本程度、森林組合の人たちの手を借りて植えた。今では立ち枯れたり、草刈の時に間違って切ったり、植えた箇所が邪魔くさくて意図的に切ったりで、早くも10本程度は消滅したが、他は、場所によって生育状況にバラつきがあるものの概ね無事である。

 雑木伐採の切り株から伸びた枝々、被い繁る竹笹、蔓などがはびこる山地の草刈には骨を折る。狭いながらも、鋭角なノリ面の草刈ともなると、それはほぼ直角垂直なので、へばりつきながらカマで細かく刈り取っていかねばならない。その姿は、格好よく表現すれば「あたかもロッククライムの練習でもしているのかと見まがうほど」だが、格好つけずに普通に表現すれば「必死に斜面にしがみつくだけで精一杯の危なっかしい様相」だ。勿論、言うに及ばずヘッピリ腰のその姿は、誰が見ても後者であることは確かで、ロッククライムの練習風景にはどう間違っても絶対に見えない。

 上までよじ登るだけならいいが、へばりついてカニの横這いのように横移動しつつ、足場を確保して滑り落ちないようにオドオドしながら片方の手は切り株などを掴み、もう一方の手でカマを振り回し、アブなどの執拗な攻撃をかわして、桜の木を傷つけないように雑木の切り株から伸びた枝や桜の木にまとわりついた蔓や山地に被い繁る下草を刈るのがメインだ。体勢を維持するだけでも日頃つかわなくなった筋力を筆頭にした体力をやたら消耗する。ズルズルと滑落してもたかが知れているが、運動神経の衰えた者が行なう鋭角なノリ面の草刈は、難易度が高い。

 これを終えて農地に身を置くと、何と平坦で草も柔らかくて草刈もラクなものか、と思える。だから、難易度が高い山地の草刈はハードなトレーニングとしても役に立つ。平坦な農地のありがたさを感じれば、暑さのなかでの畑の草刈や畝づくりも勢いづくというものだ。ぼちぼち秋に向けての畑を準備しなくてはならない。

 再び、HONDA製のミニ耕運機の出番である。

 だが、今年の夏は雨が降らなかったので農地といえども地面が固くなり、ミニ耕運機のツメが機嫌よく土に喰い込んでくれない。いわゆる「歯が立たない」状態である。固くなった地面はなかなか手強い。夏草が元気付いてもいいので、このあたりでザァ〜っと、ひと雨ほしいところだ。「極端な豪雨は困る。ザァ〜っとひと雨がいい」・・・と願っていると、雨乞いが天に届いたのか、ひと雨ならぬ、途切れ途切れに亜熱帯地方の如き様相でドサァ〜っとふた雨が降った。このおかげで一時的に気温が若干低くなったが、湿気ムレムレの体感不快指数はグ〜〜ンとあがった。必然的に農作業に向かう気力や気分を萎えさせるというものだ。これを称して「水をさされた」というのだろう。

 降ったら降ったで蒸し暑いうっとうしさに支配され、降らないなら降らないで雨乞いをしたくなる程の思いに支配され、人間というものは、かくも「ないものネダリ」をしたがるワガママで厄介な種族であることよ、と、再認識するのが8月である。

2008年8月 記


野良の日常【其の四/農耕な話】

 「お〜い、イモをイノシシが掘りよるぞ」
 車で農地に着くと近所のおっさんがそう言った。
 用事が重なり、9月中旬まで2週間以上も農地を留守にしたので草茫々だ。その声に促されて草に被われたサツマイモ畑を見ると、掘り返した形跡というよりも、まさに掘って食べている状況が伺い知れるほど、リアルにイモが掘られ始めていた。半分はきれいに無くなっている。

 サツマイモが太り、うまみが増していく時期。覚悟はしていたが、その前にイノシシの餌食になってしまうのはいまいましいものだ。
 芋自身に成り変わって「掘るなとは言わない。けれども食べるのならもっと太った頃にしてくれ」とためいき混じりに憂い声が出てしまう。

 「このままにしておくと全部食べられてしまうぞ」
 近所のおっさんは大声で言う。言われなくても見れば分かる。あと2日もあれば喰い尽くすだろう。しかし、それはシャクだ。もともと防護囲いなどを施す気はない。ならば掘って家に持って帰る以外に手はない。

 久しぶりにお気楽気分で農地に行ってみたのだが、いきなり芋掘り作業となった。まるっきり予定もしていない作業は、不快感を伴なうものだ。掘れば掘るほど体力を消耗してムカムカしてくる。
 あと一歩でホックリ感のある芋の太さになるのに今掘らねばならぬのはイノシシ、キサマのせいだ!  のんびり畑の様子を見ながらのウォーミングアップ気分だったのに、いきなり大汗かいて芋掘りをせねばならぬ。嗚呼なんと暑いことか、息もあがる。芋掘り如きでこうもヘロヘロに疲れるのはイノシシ、キサマのせいだ! ムカムカ気分は消耗の度合いを一層加速させる。

 無事な畝の半分を掘り終えた夕刻、両手に持てる大きさのコンテナ1箱に、太り始める一歩手前のサツマイモをムカムカブツクサ気分で入れていると、笹薮からガサゴソと何やら物体が移動している気配が漂ってくる。
 ・・・? ん? ・・・何だ?
 笹薮からひょっこり顔を覗かす物体が目に見えてきた。
 れれれ、イノシシではないか。

 「お前か!ここの芋を掘って喰っているのは」。思わず声が出た。
 笹薮から姿を現わしたその全身を見ると丸々太っている。イノシシは躊躇する気もないようだ。馴れ馴れしくもイノシシは豚とまったく同じような可愛い尻尾を振りながら首を傾けている。
 その素振りは「猪突猛進」という熟語とは縁遠い。「おいおい、猪突猛進は嘘なのかぁ」とイノシシを睨みつけて言葉をぶつけると、さらに馴れ馴れしい態度で立ち止まっている。逃げもしなければ臆しもしない。尻尾を振りながら堂々と畑のほうを見ている。拍子抜けする、とはこのことだ。馴れ馴れしいというよりもむしろ完全になめられている。

 なめられているのなら一体、どうするのが良策か? マタギではないのでシシ鍋用に捕獲する手だては知らない。ならば、脅す? 餌付けする? どれも芸が無さ過ぎる。
 策が直ぐには思い浮かばないので、ひとまず芋を入れた重いコンテナを両手でかかえあげて車まで運ぶことにした。要は、普段通りに動くということだ。
 車まで運んでサツマイモ畑のほうを見やると、あつかましくもイノシシは、掘り残した畑の箇所を見つけて芋をムシャクシャと喰っている。「おいおい、遠慮なく、そこまでやるかぁ」。しかも、その掘り起こすスピードは「お前が鍬で掘り起こすのよりもはるかに早いだろう」と言いたげだ。嫌味な奴だ。

 一体どうやって掘っているのか間近で見たくなってきた。ズケズケと近付いて行くと、その好奇心を軽くあしらって「見せないよ〜」とでも言いたげに、こちらを一瞥するとトットと笹薮の中に消えて行ってしまった。最後までなめた態度をとるものである。
 近所のおっさんの言うことには「殆どの畑の芋は食べられた。平気な顔で栗の木の栗まで食べた」とのことだ。カボチャ、芋、栗。なるほど、ホクホク感触がイノシシは好みのようだ。

 尻尾を振りながら首を傾ける表情の可愛さとホクホク感触が好みのイノシシは、見方を変えれば愛すべき奴なのかも知れない。しかし、十分味が乗る前に喰い尽くそうとするイノシシの行為には腹が立つものだ。

 家に持ち帰って焼芋や蒸かし芋にして食べてみると、甘みがあってうまい! すると余計にムカムカ気分がわいてくる。そして、芋を食べながらやはりこの言葉が芋自身に成り変わって出てしまう。
 「掘るなとは言わない。けれども食べるのならもっと太った頃にしてくれ」。
 ・・・秋の味覚を楽しみに丁寧に植えて、じっくりと収穫を待っていた側からすると、今回の落胆は結構、深い。

2008年9月 記

野良の日常【其の五/農耕な話】

 大根、人参、カブ、ネギ、わけぎがよく出来ている。殆ど農地には行けなかったのに、草にも負けていない。どうやら土が出来てきたようだ。

 「この草と作物の生えかたは、いっちょ前の有機無農薬農家の畑みたいじゃん」。農耕に着手して以来、初めて、そんな言葉が自然と私と女房殿の口から出た。まったくもっていい感じだ。
 腕組をして悦に入っていると、「草をとらんと太らんよ! あんたら、何してたん? 畑を放ったらかしにして。白菜も作ってないし」と言いながら、近所の農家のおばさんが近寄ってきた。せっかく自己満足気分に浸り始めたばかりだというのに、そのまとも過ぎる言葉に一気に水を差された感じである。

 言われればそうだ。白菜を植える畑を作りかけて以来、来ていなかった?のか。いつから来ていないのかすら、すっかり忘れているくらい、ホントにいい加減な奴だ。思い出してみるに、秋ジャガと大きくなり過ぎた春菊を採りに来て以来、農作業をしていないのかも知れぬ。

 ・・・まぁ、いいじゃないか。

 大根、人参、カブ、ネギ、わけぎを少しだけ引っこ抜いて、今日は帰るとしよう、と思った矢先、「もう帰るん?」。今度は近所の農家のおっさんが言った。

 いいじゃん、帰ろうが帰るまいが。・・・年に数回、「放っといて」と、強く思う気分の時がある。

 特段、憂鬱というわけではないし、気取っているのでもない。言うまでもないコトだが、思索に耽っているわけでもない。黙って淡々と畑でぶらぶら勝手気ままに時間を過ごしたいことだってある。それは毎度のコトだが。

 外気の暖かさが程良い冬の日は特に、話しなんかまったくしたくない気分になることがある。陽だまりに包み込まれ、穏やかで静かな空間に身を委ねていると、言葉が邪魔になってくる時がある。こんな日は、挨拶さえ黙ったままの会釈だけがいい。

2008年12月 記



2009年

野良の日常【其の六/農耕な話】

 今年も農耕の時期がおとずれた。

 「ほ〜っ、やっと来たかぁ、ジャガイモを植えて以来じゃのぉ」。
 近所の農家の爺さんがそう言った。「早く畑をつくらんと、間に合わんぞぃ」。

 ご忠告ありがとうございます。せっせとキバリます。

 草を刈り、HONDA製のミニ耕運機で耕していると、近所の農家の婆さんがやってきた。
 「あのねぇ、イノシシがね、植えたジャガイモの種芋を食べはじめたんだと」。驚くことをいう。それは何かの間違いであってほしい。

 今年もたいそうきばってジャガイモをたくさん植えた。
 サツマイモは仕方ないにしても、ジャガイモまで食指を伸ばすとは・・・。まぁ仕方ない、なるようになる。食べられたら諦めよう。

 「イノシシに食べられるのが嫌だったら葉もの野菜しかないのかね」と言うと農家の婆さんが言った。
 「胸焼けすると、葉もの野菜も食べ始めるかもよ」「でもうちの爺さんよりまし。イノシシは食べ物の好き嫌いがないみたいだから」。

 御意。おっしゃる通り。私も耳が痛い。

 さて、健康のために、ニンジンの種をまくことにした。とは言え、畝をつくらないと種はまけない。農耕のウオーミングアップに畝づくりが始まった。
 が、直ぐに「腰痛」が起きた。イテテ、イテテ・・・。嗚呼、キャシャな奴だ、われながら情けない。今日は帰ろう。

 ・・・それから数日後、爽やかな天気に誘われて、追加分のニンジンも含む種まきをするためにやってきた。
 オヨヨ、雨の恵みを受けて、刈ったはずの草が、もう伸びている。・・・そうか、一度来てから、はや一週間が経っていたか。
 ジャガイモ畑に目をやると、元気に土の中から芽を出しはじめているではないか。

 それらを見ると、今日は、ニンジンの種まきだけでは帰れない。畦の草を刈りながら、これからの作付けを考えよう。
 まずは、ナス、キュウリ、トマトの苗を植える畝づくりを始めるか。農地は早くも初夏の雰囲気を漂わせている。
 そう思った途端、爽やかな天気も手伝って、急に腹が減ってきた。嗚呼、辛抱が出来ない奴だ。

 そうだ! 久しぶりに手打ちうどん屋さんに行って、それから今日は、帰るとしよう。

2009年04月 記

芭蕉な話ツバメな話Macintoshな話気軽にカキコな話パジェロな話

【連絡先】
〒746-0025 山口県 周南市 古市 2-3-43
やまぐち連句会事務局
▼E-mail▼