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ニュースというもの 2004年4月20日から8月20日に至る4カ月、まるっきりニュースを見ない、読まない生活をした。意識的にではなく、時間的にも日常生活の上でも必然的にそうなった。
記事を書いたり、取材したり、編集したり、書籍をつくったりを主な仕事にしている者が、とにもかくにもニュースを見ない、読まない、つまりは新聞もテレビも見ない日々をおくった。そのような生活を続ざるを得なかったこと自体が皮肉と言えば言えなくもないが、要は、気付いてみれば、ニュースをまったく見ていない日々だった。
それに気付いた時、真っ先に思ったことは何か? と言えば「既成品のニュースや解説なんかは、無くてもまったく困るものではない」ということだった。そして、それらの多くからは、リスクを追わず、落としどころを無難に考えているのが透けて見えてきた。簡単に言えば「意図的にか質的にかのいずれかであろうが、極論すれば雑音にしか過ぎない」ということを改めて知った。その間の人との出会い、あるいは物事との出会いは、とても意義深いものだったが、ニュースはまったく不要だった。
既成品の新聞やテレビをおあずけにして、自分なりの日々を過ごしてみるのも、案外いいものかも知れない。布団の中や茶の間などで手軽に、深刻なニュースや最新の情報を入手する便利さの中に漬かっていると、気付かないうちに、真偽も本質も見抜けないうちに、それらに知らず知らずのうちに踊らされているケースは意外と多い。(04・9/9)
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イスラエルとアメリカ、
そして崩壊した和平プロセス。狂ったイスラエル、止められぬアメリカ 殺人鬼と化したのか、中東和平を目指すなかでイスラエルが、国として一組織の創始者を軍事ヘリで殺害し、戦車部隊まで動員して厳戒態勢を敷いた。
イスラエルの超タカ派、シャロン首相が進める暴力的な政策は、組織が行なうテロよりもさらに陰湿な国家犯罪の様相を呈している。イスラエル軍によるイスラム原理主義組織ハマスの創始者ヤシン師殺害は、法の支配も和平外交の力もおよばない横暴な国家が存在することを明白に示すこととなった。
無軌道なガザ空爆、そしてヤシン師殺害。イギリス、フランス、ドイツ、エジプト、国連などの「国際法に反する暴挙だ」との批判声明を待つまでもなく、国際社会が抱く殺人国家に対する失望感は強い。
イスラエルに対して非難できずにいるのは、相変わらずイスラエル寄りの姿勢を崩さないブッシュ政権およびアメリカ政府だけだ。ブッシュ政権とすれば、自らの大統領選挙を前にしてアメリカ国内にいるユダヤ勢力の反感を買うような発言は出来ない、という打算がある。そのため、「困惑している」としか表明できないのが実情だ。そればかりか、ワシントンを詣でたイスラエル外相がガザ空爆やヤシン師殺害について「テロに対する自衛権だ」と説明したことに理解すら示すという馴れ合いぶりだ。その姿勢に見て取れるのは、ブッシュ政権が行なう武力行使とシャロン政権が行なうパレスチナ軍事侵攻の同質性だろう。
テロ<対>国家と言えば、後者に利があるように聞こえるが、対テロ戦争や武力行使を正当化する野蛮国家の横暴さという点を見れば、五十歩百歩。テロ対策と称しての国家的な暗殺行為や怯えや憎悪に起因する武力行使は、暴力の連鎖をさらに強め、陰惨を極めるだけで、正当性など存在するものではない。
パレスチナ紛争はイラク攻撃の陰に埋もれ、シャロン政権は好き放題に泥沼化を深刻にしてきた。それにアメリカがからみ、ユダヤ人入植による陣盗り姿勢でのパレスチナ占領などの根本的な問題解決は、ほとんど放棄されたままだ。
名ばかりのパレスチナ新和平案「ロードマップ」(行程表)は、アラブ世界などからもはや見向きもされなくなった。その理由は簡単明瞭で、アメリカがイスラエル寄りの姿勢を改めることがなかったためだ。
パレスチナ自治政府への軍事攻撃を筆頭に、アラファト議長監禁、ジェニン難民キャンプでの虐殺、ヨルダン川西岸の分離フェンス建設、などなど、シャロン政権の目に余る行為は、国際的な非難を受けながらもエスカレートの一途をたどっていった。その理由も簡単明瞭でブッシュ政権がイスラエル擁護の姿勢を崩すことがないからだ。イラク攻撃とその後の占領政策で失敗しつつあるアメリカは、シャロン首相が繰り返すパレスチナへの軍事侵攻を食い止めることすらできず、パレスチナ和平においても今、失敗の見本を示そうとしている。
アメリカがイスラエルを軸にした中東統治を画策する限り、健全な道筋はこれから先も描けるはずがないようだ。(04・3/24)
●パレスチナ最大のイスラム原理主義勢力ハマスは、イスラエル軍武装ヘリからのミサイル攻撃で、ハマスの創始者であるアハマド・ヤシン師がパレスチナ自治区ガザ市内で殺害されたことから「報復の標的はイスラエルのシャロン首相だ」と名指しする声明を出した。
1948年のイスラエル建国で難民となったヤシン師は、1987年、ガザでのパレスチナ人の住民蜂起を契機に、イスラム原理主義組織「ハマス」を創設し、アラファト議長率いるパレスチナ解放機構(PLO)に代わって主導権を握り、反イスラエル闘争を行なってきた。
ハマスは、アメリカなどによる新和平案(ロードマップ)提示を受け、2003年6月に3カ月の「停戦」を宣言。しかし、イスラエルによるハマス最高幹部の暗殺が起こったことから8月に停戦を放棄し、その後、ハマス側への攻勢を強めるイスラエルとの間で報復合戦を続けている。●国連人権委員会は、ジュネーブの国連欧州本部での会合で、ヤシン師殺害について、イスラエルを非難する決議を賛成多数で採択した。 パキスタンやイスラム諸国が発議した非難決議には31カ国が賛成、アメリカとオーストラリアは反対、EUや日本など18カ国が棄権した。
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やはり
イラクに大量破壊兵器はなかった!?辞任したイラクで大量破壊兵器の捜索をしていた米調査団のデービッド・ケイ団長(CIA特別顧問)は、2004年1月24日、「イラクに大量破壊兵器が存在するとは思えない」「91年の湾岸戦争後に製造された大量破壊兵器の備蓄があるかだが、湾岸戦争終結時点で存在した生物・化学兵器は、国連の査察とイラクの独自対応を通じて廃棄されたし、90年代に大規模な製造計画があったとは考えられない」「実態把握に必要な作業はほぼ完了した」とのコメントを海外のメディアに伝えた。
アメリカのブッシュ政権はイラク攻撃の際、大量破壊兵器の存在を直接の脅威として国連決議のないまま開戦に踏み切った。その後、バクダッド周辺などで「化学兵器製造工場発見か」との報道が相次いだが、いずれも十分な根拠のないメディアの先走りで、否定的結果に終わった。
ラムズフェルド国防長官やホワイトハウスのフライシャー報道官などは「米軍がバクダッドやフセイン・イラク大統領の故郷ティクリートに到達すれば、大量破壊兵器は必ず見つかる」と、繰り返し発言してきたが、2003年12月にイラク元大統領サダム・フセインが拘束された今になっても、見つかってはいない。最近、ブッシュ政権は「イラク中の潜伏場所や弾薬集積場を調べ上げるには、まだ相当の時間が要る」「真相究明の条件が今ようやく整った。フセインがいた間は捜索はできなかった」と歯切れが悪くなる一方だ。また、パウエル国務長官に至っては「化学兵器の量が100トンか500トンか、それともゼロなのか。炭疽菌が10倍またはゼロなのか。われわれには結論がなかなか出ない未解明の問題があった」などと述べ、開戦前に旧フセイン政権が保有していなかった可能性があるとの見方を示すといった具合だ。
ブッシュ政権は当初「米軍は2000〜3000カ所の検査を必要とする疑惑施設のリストを持っており、1日に約20カ所を調べている。見つかるのは時間の問題だ」と鼻息も荒かったが、その大量破壊兵器の捜索にあたったCIAなど生物・化学兵器の専門家らの調査チームの団長で、存在を確信していた本人が「大量破壊兵器が存在するとは思えない」と述べたのだから、「やはりイラクに大量破壊兵器はなかった」のは、ほぼ間違いない現実だろう。
とすれば、今さら言うのも空しいが、ブッシュのぶちあげた「脅威」の本質や信憑性が改めて問われるというものだ。
そして、加えて、これも今さら言うのも空しいが、ブッシュの尻尾にくっついてイラク攻撃を積極的に支持したわが国のワンパターンな首相の理屈も通らないというものだ。イラク攻撃の理由を「旧フセイン政権の圧政からの解放」にすり替え、今後は、イラクの解放や安定化といったことに話題をそらすのだろうが、開戦の正当性がなくなった、ということは確実だ。(04・1/24)
●ブッシュ大統領は1月27日、イラクに大量破壊兵器はないという問題に関して記者団から質問を受け、初めて口を開いたが、大量破壊兵器にはふれず、「サダム・フセインが米国と世界にとって深刻な脅威だったことに何の疑いもない」「サダム・フセインがいなくなり、世界はより良くなった」などと矛先をそらすことに終始した。
ブッシュにとっての大量破壊兵器は、サダム・フセインそのものの存在だったようだ。●「イラクに大量破壊兵器はない」と語ったデビッド・ケイ氏はダメを押すかのようにさらに、1月28日付のワシントン・ポストとのインタビューで、「フセイン政権が備蓄していた生物・化学兵器については、90年代半ばに極秘に廃棄したことを示す証拠を発見した」とも語った。 そして、大量破壊兵器の捜索については「すでにパズルの大きなピースは発見し終わっている」と話し、今後捜索を続けても「新しい発見は難しい」と断言した。
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震災と携帯電話 2004年1月17日で丸9年になる阪神・淡路大震災の惨事。被災地では、復興計画が進む一方で、高齢者問題や不況・金融危機のダブルパンチなど、重圧ものしかかっているという。
被災市町は、膨大な復興事業に要した借金返済がピークになり、単年度収支で12市町が赤字だ。また、2003年末に7回目の返済据え置き延長が決まった緊急災害復旧資金融資では、今もなお2万もの業者が計900億円超えの債務を抱えるという。
復興が進む姿の奥には、震災の後遺症に加え、再建を阻むかのような長引く不況などで、ままならぬ状況が続く。ところで、あの震災の時、救援で最も有効な通信手段となった携帯電話。助けを呼んだり状況を知らせるのに大活躍した。その有効さを聞き、非常時の際にと、当時は高価であったが1台、アナログ方式の携帯電話を購入した。自動車電話ほどではないにせよ、当時の普及率はまだ低く、形もコンパクトとはいえポケットに入れるには邪魔くさい大きさと重さだった。しかし、震災などの緊急大非常時の際の最も有効な通信手段だと確信して、がまんして持ち歩いていた。存在感もあった。
それが、ここ数年で、震災などの際の「通信規制」の筆頭にまでなってしまった。要は、非常時にはまったく役立たずの代物に変わり果てたのである。今や非常時ではなく、日常のコミュニケーションツールに進化し、こどもまでもが小遣いで買い、機能も盛り沢山な携帯電話を、誰もが持ち歩くに至った。
そればかりか、携帯を常に携帯していないと世の中から遮断されたような気になるという中毒症まで増えたという。普及することはいいことだ。しかし、個人的な非常時には有効であるが震災など肝心な緊急大非常時には通信できない。回線がパンクしないように最も必要な時に最も早く遮断される通信機器というのは一体どう解釈すればいいのだろうか?
あの時に購入したアナログはデジタルと強制的に交換されてしまったが、今も買い換えることなく交換されてしまった時点での旧式のデジタル携帯を使っている。電話以外の目的では使えない立派な旧式だ。
しかし、緊急大非常時に利用価値のまったくない通信機器は、いくら多機能になろうとも、買い換える気が起きないし、常時持ち歩く気にも、まったくなれないのである。時には置き場所を忘れ、固定電話で呼び鈴を鳴らして探し出すくらい存在感が失われていった。多機能もいいだろう。勝手に進化すればいい。それに対して文句はない。しかし、緊急大非常時に頼りにならない通信機器のままであって欲しくはない代物である。肝心な時に役に立たないのは・・・だけで十分だ。
小泉首相が「情報通信省」の設置を口走ったらしいが、いつもながらの突発的瞬間芸や既得権益がらみの分断牽制見え見えパフォーマンスではなく、基本的なインフラ整備も含めて「実」のある発想や取組をして欲しいものだ。(04・1/17)
●政府のIT戦略本部(本部長・小泉首相)は2月6日、携帯電話による災害情報の共有化など、セキュリティー政策の導入時期を明示したIT推進政策「e−Japan戦略2 加速化パッケージ」をまとめた。
実施する期限を設定した具体策として、国・地方自治体と住民の間で携帯電話やインターネットを使い、災害時の状況を即座に共有できるシステムを05年度までにつくるという。
ただ、緊急大非常時にも携帯電話が規制なく使用できるようにインフラ整備するのか否かは不明だ。
e−Japan戦略は、国が進めるIT政策の中期的な計画を示し、2005年に世界最先端のIT国家になることを目指すものだという。
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