基本的な式目


歌仙を巻く際の決まりごと

「決まりごと」を「式目」と称しますが、これに振り回されると「面倒くさいなぁ」と感じることもあります。やり始めは「式目ばかりに左右されるのは面白くない」とも思います。決まりごとばかりで進んでいくと、自由さが奪われていると実感します。でも、座で句づくりをすすめていくうちに、「式目」があるから起承転結あるいは「序・破・急」のメリハリも出るのかな、ということにほんの少し気付きます。それは、人間の暮らしと同じです。

ある程度すすめていくと、この決まりごとのなかには案外、蘊蓄のあるものもあるなぁ、と思えてきます。

「歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」。

これが連句一巻を巻く際の「基本精神」と言われています。要は、これが決まりごとで、大きな柱です。

これに基づくがゆえに、句を付けていく時には、発句と脇句以外では、重複、粘着、停滞、同種・同趣・同景などは「許されない」ものとなります。

いま今いま、なのです。そして、すべて前へ前へとすすめ、同じ場所に停滞したり後に戻ったり、以前のものに固執したり、無効な使いまわしをすることは御法度なのです。(これは、古いものや過去の体験などを詠むな、という意味ではありません。連句一巻が始まったら、その一巻の進行に於て、前の句のイメージをず〜っと引きずったり、何句か置いてまた同じようなニュアンスの句を付けるのはやめるように心掛ける、という意味です。くれぐれも誤解されませぬように!

これは、言うまでもなく仕事を含む社会生活をするうえでの基本と同じです。しかし、怠慢さやエゴ、保身、創造力の欠如、我田引水などなどで、御法度なことばかりを繰り返すのが、考え違いをしている人間のあさましいところでもあります。

連句をしていくと、そうした「我」や「とりつかれた亡霊」のようなつまらない自分が鮮明に見えてくるから不思議といえば不思議で、やがては、これが潜在する魅力や可能性の宇宙なのであろうか、と実感するに至ります。

連句は「座の文芸」であると同時に「究極の文化」とトップページで書ききった由縁でもあります。

式目あれこれ

【最低限の決まりごと】

発句以外では「や」「かな」「けり」などの切れ字はなるべく使用しないようにする。

「表六句」では、神祗、釈教、恋、無常、述懐、病体、戦争、妖怪、人名、地名を詠まない。発句はこの限りではなく、何を入れて表現してもよい。

「第三」の下五の句は、留字「て」「に」「にて」「らん」「もなし」で留める。

句を付ける時、前々の句に対し「類似」「類想」「単なる言い替えに過ぎない」と思われる句は詠まない。(「打越」と称す)

句を付ける時、前々の句と「同種」「同趣」「同景」になってはいけない。(「観音」と称す)

同じような事柄や意味のことを、何句か置いてまた繰り返すのはやめる。(「輪廻」と称す)

前後の句、あるいは離れている句の材料=文字、かな使い、テンポ=を再度使うのは避ける。(「差合」と称す)

神祗、釈教が詠まれているにもかかわらず、やむなく再度、詠む場合は、3句以上離れて後に詠む。また、名所が詠まれているにもかかわらず、やむなく他の名所を詠む場合は、2句以上離れて後に詠む。(「去嫌(さりぎらい)」と称す)

恋の字は、なるべく歌仙一巻に1回使用すると良いが、こだわる必要もない。また、恋句が詠まれた場合は続けて恋句を付ける。

春・秋の句は3句続けて詠む。夏・冬の句は続けても2句までとする。

歌仙一巻には「二花三月(にかさんげつ)」といって花を2回詠み月を3回詠む「花の句」と「月の句」の「定座」と呼ばれる場所があるので、そこで必ず詠む。花の定座は、十七句目(裏十一句目)と三十五句目(名残裏五句目)で、これを動かすことについては極力避けるのが望ましいが、月の座は、句の流れによって移動させても不都合はない。

これ以外にも細かい「式目」がありますが、連句をはじめるにあたっては、さほど気に留める必要はないでしょう。むしろ、これだけでも十分です。
連句をはじめると、捌き手が懇切丁寧に、その都度、分かりやすく説明してくれるのです。

発句と脇(連句・歌仙のまきかた)その他(歌仙の基本構成など)



連句入門編

目次

座の仕組みと連句のすすめかた

発句と脇(連句・歌仙のまきかた)

その他(歌仙の基本構成など)

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