芭蕉の時代が伝授する歌仙
●芭蕉の時代が伝授する句の付け筋● 芭蕉が活躍した江戸時代、俳諧における句の付け筋はどんなものだったのでしょうか。わたしたちが句を付けていく際に、手掛かりになるものが沢山、今の時代に伝承されてきているようです。それらを少し、見てみることにしましょう。 ◆其の一◆ 『去来抄』には、松尾芭蕉が語ったその時代の前句への付け方の「ひとつの傾向」として「うつり・ひびき・におい・くらいを以って付けるをよしとする」と述べられています。 これについての解釈は諸説ありますが、要は「真摯に前句を受け取って、自らの感性を総動員して次の句を付ける」という現在に至る付け方の「基本のひとつ」に変化はないようです。 具体的に「うつり・ひびき・におい・くらい」を個々に表現するとどうなるのかというと、去来自身も「是(これ)を手に取りたる如くはいいがたし」と述べているように、微妙さゆえに言葉では、きっちりと表現できないものなのでしょう。 そこを敢えて、独断的かつ安直に表現すると次のようになるのかも知れません。 「移り」は、前句の余情や気分が、次の付句に柔らかく移る付け方。 これらを一説には「余情付け」と称すようですが、これをどう総称するかはその筋の専門家に任すとして「付けようの微妙なあんばいの基本のひとつ」として、現代に伝授されてきています。 ◆其の二◆ また、芭蕉の門人であった各務支考(かがみ・しこう)は、付け方に関して「七名八体(しちみょうはったい)」と称する付け方の方法(七名)と狙い所(八体)を提示しています。いわば、現代に伝わるマニュアルのひとつでもあります。 ●各務支考が伝授する付け方の方法(七名=有心・向付・起情・会釈・拍子・色立・にげ句) これを敢えて、独断的かつ安直に表現すると次のようになるのかも知れません。 一)前句の情や景、状況などを見定めて、その言外のものを捉えて付ける(有心・うしん)。 しいていえば、一)から三)が前句に対しての「堂々たる積極的な付け方の手法」で、四)から六)が前句に対しての「軽妙な付け方の手法」で、七)は、前句に対しての「軽快かつ消極的な付け方の手法」になるのかも知れません。 ●各務支考が伝授する付けの狙い所(八体=其人・其場・時節・時分・天象・事宜・観想・面影) これも敢えて、独断的かつ安直に表現すると次のようになるのでしょうか。 一)前句から感じ取れるその人物を見定めて、これを手がかりに人物描写として付ける(其人・そのひと)。 ◆其の三◆ 芭蕉の門人、立花北枝(たちばな・ほくし)は、歌仙一巻の句を「人情無しの句」「人情自の句」「人情他の句」の三つに分類し、付句を工夫するように『付方自他伝』を著して提言した、と伝えられています。 「人情自の句」は自分のことを詠んだ句、「人情他の句」は自分以外の他者を詠んだ句、「自他半の句」は、自分および他者を同時に詠んだ句、「人情無しの句」は場の句で、自分および他者を入れずに景色や世相などを詠んだ句、のこと。 この大枠を認識したうえで、詠まれた句が、自か他か自他か場か、を判断し、付け方や付け筋を工夫してくというものです。 ● 代表的に伝承されてきたこれら「其の一」から「其の三」までは、いうまでもなく「句はこのようにして付けるものだ」という絶対的なバイブルではなく、「付け筋として、このような線がリストアップできますよ」という江戸時代からの贈り物だと、捉えることができそうです。 芭蕉が俳諧(連句)を通じて現代に伝授するもの、それはやはり、「連句は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」の基本精神だと思います。 |
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