現代が手引きする句づくり



現代の歌仙の手引き

「連句入門編」から「芭蕉の時代が伝授する歌仙」まで読み進めたことを前提に、今の連句は、実践の場でどのような句づくりが手引きされているのか、その大枠を見ていくことにします。

其の一

俳諧の基本精神「連句は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」は、俳諧師・松尾芭蕉が語った、といわれるものですが、これが引き継がれ、重複、粘着、停滞、同種・同趣・同景のような句などを詠まないように、句づくりの目安として、次のようなものも示されています。勿論、以下の事柄は松尾芭蕉が示したのではありません。俳諧の基本精神「連句は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」を受け継いできた俳諧人や連句愛好者が、時代を経て、句づくりの目安として示したものです。

句の付け筋や転じ方の方向としてのチェックリストのようなものですが、重複、粘着、停滞、同種・同趣・同景に陥らないための「参考」として、連句づくりの場で利用されています。

句づくり変化チェック表

情緒

乗物

生活

建物

身体

名所

道具

歴史

述懐

古典

重語

故事

時宜

方向

工芸

学芸

教育

行事

海外

時事

一巻の歌仙に変化をつけるため、あるいは、同種・同趣・同景に陥らないための参考チェックリストで、1回しか使ってはならない、というものではありません。

同種・同趣・同景ともうひとつは、付け進まれた句の、単に言い替えに過ぎないと思われるような句づくりも避けるように心掛けることが必要です。

また、つくった自分しか分からないような句(「この句は一体何を言っているのですか?」と問われ、延々と持論(自論?)を展開したり、説明をしないとさっぱり分からない句)は、避けるほうが懸命のようです。
いわば「独りよがりの極端な疎句にならぬこと」ということですが、句座作法には「自分一人で多弁に話題をとらぬこと」「自分の句の作為(作意)を蝶々と語らぬこと」というのもあります。

其の二

第三の長句(五・七・五)では「胴切れ・句またがり・句割れ」を避けるように、といわれています。
これは、例えば次の句のように上五の句と中七の句などにひとつのセンテンスがまたがっていることを指します。
   
「例」大粒の雨降り傘を差し出して
大粒の雨降り、までがひとつのセンテンスで、傘を差し出して、までがひとつのセンテンス、となると、この句は、五・七・五というより九・八の句?となってしまいます。このような場合は「大雨に傘差し出しつ見送らん」のように、五・七・五がはっきりするようにしたほうがいいようです。
※第四以降はこの限りではありません。

また、長句(五・七・五)の句づくりでは、句の中の「余分と思われる」助詞「て・を・に・は」は、なるべくカットして切れのいいものにするとよい、とも言われています。これを「スミのテヲニハを切る」と言います。

「(て・を・に・は)を使わないようにする?助詞は使わないようにする?それはおかしい」と、思う人が必ずいます。それは「誤解」です。
(て・を・に・は)を使わないようにする、のではなく、句の中の「余分と思われる助詞」はなるべくカットして切れのいいものにするとよい、ということです。
表現する時に助詞の「て・を・に・は」は最も大事なものです。助詞がひとつ違っただけでも内容が大きく変わることがあります。ここでいう「スミのテヲニハを切る」という意味は、あっても無くてもいいような助詞の使い方については、切れのいいものにするためには避ける工夫が必要だ、ということです。

短句(七・七)の句づくりでは、下七の句は、単語からすると四と三、あるいは二と五、の形は句調が整わない、として嫌う人もいます。例えば「荒れる林道山並うねる」のような句の場合「山並うねる」は「うねる山並」(三と四)にしたほうが好まれるようです。

其の三

上記の事項は、技術(スキル)や経験(キャリア)を自覚する際に必要なものですが、これらに縛られると身動きが出来なくなる場合もあります。

連句の醍醐味は「決まりごと」あるいは「式目」ましてや「句づくりの手引き」から生まれてくるものではありません。
連句の醍醐味や面白味は「連句は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」の基本精神にあります。この認識さえあればOKです。


※このページは、暫時、追加および加筆修正していきます。


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