こどもと連句
●こどもの感性が敏感に反応● 大人たちがやる連句(俳諧)に関して松尾芭蕉は「俳諧は十歳の童子がやったほうがマシだ」という意味のことを語った、と伝えられています。それは、いうまでもなく大人というものは、知らず知らずのうちに身についてしまったいろいろな観念のほうが支配力を持ってしまって、その原点である感受性がマヒしてしまっていると、芭蕉も実感したのだと思います。、基本的な「感性」の響き合い、それは大人たちよりも童子たちのほうが良好、いわば感度良好なのだと言った、と捉えることも出来ます。 大人より子どもたちの方が率直(そっちょく)なのは、誰にも異論はないはずです。その「素直(すなお)さ」を、歪んだ現代という社会そのものが削りとっている、ということについても、誰も異論はないだろうと思います。 学校教育が疲弊し、家庭教育が崩壊し、本来、素直な子どもたちの感性は、少しづつ歪み始めています。(子どもは素直、という認識そのものに異論を抱く方もおられるでしょうが、哲学的論議は「こどもと連句」には不似合いなのでやめましょう) 連句は、本来素直なはずの子どもたちの「本性」と、敏感に響き合います。 誰かが五・七・五で話す。それを耳を澄ませて聞いた子どもたちが、自分なりにイメージして、そこから「ぴ〜ん」と浮かんでくることを七・七で話す。そして、それを五・七・五で、次は七・七で。という風に続けていくと、子どもたちは大人よりもむしろ大きな宇宙を描きはじめます。 子どもたちは遊びに関しては、本来、工夫ができるものでした。それが今では、大人が必要以上に用意してあげないと、何も出来なくなりました。これは子どもたちに原因があるのではなく、そうです。ご承知にように、大人たちのエゴにあります。 自由にイメージしておおらかに話す。この基本を連句に接することによって、子ども自らが自分たちの感性で呼び戻すことが可能になります。 ●連句と遊ぶ● 連句を巻く時の決まりごと=式目を取り払うと、子どもたちは、自分たちで連想の世界をつくりだします。そして、自分たちで決まりごとをつくっていきます。 「今日は尻取り形式でやろう」「今日はこれから行ってみたい所を考えながらやろう」等々、子どもたちに、その連句の世界を手渡せば、オリジナルな子ども連句も誕生するはずです。 ●まずはやはり「百聞は一見に如かず」● 子どもたちの感性、それを響き合わせる連句を、子どもたちがやる前に、まずは大人たちが「連句に潜在するもの」を知る必要があります。 ちなみに大学生の間では、大学の講義あるいは自主講座などで連句が、なかなか人気になっている所もあります。もう、大学生は大人です。式目を踏まえ、連句のセオリーを理解しながらやっています。 私たちは、どこにでも以下のように「出前」します。どうぞ、気軽にお声をおかけください。
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※このページは、暫時、追加および加筆修正していきます。
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