節分

 浦和に棲んで九年、我が住まいは交通量の多い街道沿いにある。その為か、今まで2月3日の節分には、「福は内、鬼は外」という豆撒きの声は聞こえたことがない。車の音にかき消されてなのか、他の騒音のせいなのか、はたまた誰も豆撒きをしなくなったのか、それはわからない。
 私の性格として、習慣を無くすのはどうも落ち着かないようで、我が家では、車の音に消されようと雑音があろうとなかろうと、節分の豆撒きは続いている。豆撒きの後、年の数だけ紙に包み、近くの十字路に持って行き、その角に豆を置き、後を振り返らずに自宅に帰る習慣も何とはなしに続いている。これは幼い頃、祖母に教えられたもので、その習慣がそのまま続いている。
 からだが覚えているというのは、頭が覚えているのと違ってやめると気持ちがどうも落ち着かない。その後の自分の気分にまで影響を及ぼすようなので、習慣通りにやってしまう。その日もちょうど客人が来ていたのにもかかわらず、その間は待ってもらって例年通り我が家なりの節分を済ませたことだった。 幼い頃は、十字路に履物を脱いで来ることもしていたが、これは無病息災の祈りを一つのかたちにしたものだと今では思える。
 我が家の我流の節分は終わったが、今年は日本に伝わる行事や行事食が、七草粥を作ったあたりから気になり始めているので、節分に関して少し調べてみた。
 

 本来「節分」は4回ある。 何故かというと一年を春・夏・秋・冬に分けた時、その季の区切りが4つあるからで、2月3日もその一つで、旧暦でいえば大晦日にあたる。  2月4日から新しい年を迎えることから、「鬼門封じ」と「厄払い」をするのが節分という行事になったようだ。節分の時期は、陰と陽とが対立して邪気を生じ、災禍をもたらすということから、これを追い払う追儺(ついな)「鬼やらい」の行事が行なわれたのである。
 春は、「木・火・土・金・水」という五行説でいうと働きが「木気」になる。その木気が苦手とするのが金気で、その金気を剋するのが火気。 節分には豆を炒って撒くのは、大豆は硬くて金、それをやっつける為に火であぶり、たたき付けるという行為をすることで春の苦手な金気がなくなるという訳らしい。 確かに季節の変わり目には、持病が起きたり体調の悪くなる人が多くなる。その季節にとっての邪気というものはあるのだろう。
 今では何故か、この冬と春の境をなす節分だけが残り、無病息災と五穀豊穣を祈り、寺院や神社、各地でそれぞれの特色を持って行なわれているようだ。
 節分には、「福は内、鬼は外」と声高々に豆を撒くのが慣例だが、寺院によっては「福は内、鬼も内」と鬼に済度の上善人に立ち返えらそうというのや「福は内」だけ唱え、「鬼は外」は禁句といろいろあるらしい。
 節分のいわれを簡単にいうと上記のようだが、各寺院によってもそのしきたりは様々であるように、地方によっても特色のある節分があるようだ。
 

 五、六年前に山梨県の棡原村に行った時のことだが、おじゃましていたお宅で御主人の面白い囃子言葉が聞こえて来て「なんですか?」と訊ねたら、「今日は節分なので鰯を焙っているのでしょ」と奥さんから答えが返ってきた。その囃子言葉は「ヘビやムカデの口、焼き申す」といい、ペッペッと唾をかけるのである。わたしの田舎とは随分違ったやり方だったので、とても印象的で、その時のことは今も覚えている。
 最近は、大豆もほとんど家で炒る人は居なくなり、柔らかく加工した豆を買って来る人がほとんど。ましてや棡原村で聞いたような心が共存する囃子言葉や風習が、無くなりつつあるのが現代という時代。だからこそ、もっともっと節分の話や地方に伝わる行事の話を聞いて、その心に触れてみたいものでもある。
 

 皆さんの家や地方に伝わるものがありましたら是非お教え下さい(掲示板を設置しましたので、そちらに書き込みをお願いします)。

(2001年2月18日記)


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